[被爆80年] 遺族「思いがつながった」 原爆犠牲者のDNA型鑑定へ 広島市 名簿見直しも検討
25年11月17日
広島市が初めて踏み出す原爆犠牲者の身元特定に向けたDNA型鑑定は、消息不明の肉親の手がかりを何とかつかみたいと願う遺族の切実な思いから実現した。市に要望していた広島県府中町の会社員梶山修治さん(60)は「遺骨を何とか家族の元に戻したいという思いがつながった」と、今後の進展に期待している。(山本祐司)
梶山さんは、市の納骨名簿に載る「鍛治山ミチ子」が伯母の梶山初枝さん=当時(13)=ではないかとの思いを漠然と抱いていた。物資が乏しい戦時下、初枝さんの妹「美智子」さんの名前が入った持ち物などを身に着けていて誤って記載された可能性があると考えた。
思い切って今年5月、市へ照会。市の回答によると、「鍛治山ミチ子」の住所は被爆当時に初枝さんが住んでいた「広島市皆実町3丁目」で一致するなどし、確信を強めた。骨つぼの中に遺髪もあると知り、遺髪を使ったDNA型鑑定を市に要望した。 市が鑑定を決断したのは5カ月半後の今月中旬。梶山さんにとっては、鑑定作業に進めばDNA情報を照合する予定でいる実妹の大門美智子さん(91)の健康状態も気がかりで「とても長く感じた」と振り返る。
市が毎年公表する原爆供養塔の納骨名簿は、現在812人の名前を載せる。住所や学校など所属を併記する例もあるが限られる。「鍛治山ミチ子」も名前だけだった。梶山さんは「いろんな偶然が重なり今回鑑定できることになったのはうれしい。一方で、住所の一致や遺髪の存在は納骨名簿では分からなかった。もっと情報がないのかと思っている遺族はいるはず」と推し量る。
今回の梶山さんのケースを受け、市も名簿に載る情報について再確認を進める方針だ。名前が分かっている812人の情報を集約している台帳を改めて見直し、追加できる情報がないかどうか検討するとしている。
西区の渡部和子さん(81)は、14歳で被爆して消息不明の義姉がいる。納骨名簿に名前はないが、遺骨は原爆供養塔に納められているのではと長年思ってきた。周辺の清掃を26年続けている。
掃除を始めた頃、自らと同じ境遇の人がお参りによく訪れていたが、最近めっきり減ったという。「遺族も年老いていくばかり。せめて名前が分かる人については市がよく調べ直し、遺骨を返せるよう努めてほしい」と願っている。
(2025年11月17日朝刊掲載)
梶山さんは、市の納骨名簿に載る「鍛治山ミチ子」が伯母の梶山初枝さん=当時(13)=ではないかとの思いを漠然と抱いていた。物資が乏しい戦時下、初枝さんの妹「美智子」さんの名前が入った持ち物などを身に着けていて誤って記載された可能性があると考えた。
思い切って今年5月、市へ照会。市の回答によると、「鍛治山ミチ子」の住所は被爆当時に初枝さんが住んでいた「広島市皆実町3丁目」で一致するなどし、確信を強めた。骨つぼの中に遺髪もあると知り、遺髪を使ったDNA型鑑定を市に要望した。 市が鑑定を決断したのは5カ月半後の今月中旬。梶山さんにとっては、鑑定作業に進めばDNA情報を照合する予定でいる実妹の大門美智子さん(91)の健康状態も気がかりで「とても長く感じた」と振り返る。
市が毎年公表する原爆供養塔の納骨名簿は、現在812人の名前を載せる。住所や学校など所属を併記する例もあるが限られる。「鍛治山ミチ子」も名前だけだった。梶山さんは「いろんな偶然が重なり今回鑑定できることになったのはうれしい。一方で、住所の一致や遺髪の存在は納骨名簿では分からなかった。もっと情報がないのかと思っている遺族はいるはず」と推し量る。
今回の梶山さんのケースを受け、市も名簿に載る情報について再確認を進める方針だ。名前が分かっている812人の情報を集約している台帳を改めて見直し、追加できる情報がないかどうか検討するとしている。
西区の渡部和子さん(81)は、14歳で被爆して消息不明の義姉がいる。納骨名簿に名前はないが、遺骨は原爆供養塔に納められているのではと長年思ってきた。周辺の清掃を26年続けている。
掃除を始めた頃、自らと同じ境遇の人がお参りによく訪れていたが、最近めっきり減ったという。「遺族も年老いていくばかり。せめて名前が分かる人については市がよく調べ直し、遺骨を返せるよう努めてほしい」と願っている。
(2025年11月17日朝刊掲載)








