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社説・コラム

社説 非核三原則見直し検討 国是 かなぐり捨てるのか

 核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする日本政府の基本政策「非核三原則」について、高市早苗首相が見直しを検討している。被爆の惨禍を体験した日本が「平和国家」として、ここまで積み上げてきた核軍縮の努力や信頼を破壊する暴挙である。断じて許されない。検討自体を即刻やめるべきだ。

 首相は「持ち込ませず」の概念が、米国の核抑止力の実効性を低下させかねないという考えのようだ。「核なき世界」を追求しながら米国の「核の傘」に依存する戦後日本の安全保障政策が、矛盾に満ちているのは確かである。

 しかし、理想と懸け離れた現実を、少しでも理想に近づける努力をするのが被爆国政府の責任ではなかろうか。

 非核三原則は1967年、当時の佐藤栄作首相が国会で表明した。その後71年に衆院で政府に順守を求める国会決議が採択された。佐藤氏はこれにより、ノーベル平和賞を受けている。行政府の方針と立法府の考えが一致し、三原則は国是として確立したといわれている。

 背景にあったのは小笠原諸島と沖縄の日本復帰だ。当時は核兵器が配備されたままでの返還に強い反対があり、それをかわすための手段であったともいえよう。実際、核の持ち込みを黙認する日米間の「密約」の存在も明らかになっている。

 それでも歴代政権は、三原則を国是として長年堅持してきた。これを見直せば、被爆国が核兵器を肯定したと世界に示すことにならないか。

 高市政権は10月の発足以降、防衛費増の前倒しや安保関連3文書の改定、原子力潜水艦導入など軍備増強に向けた動きを活発化させている。非核三原則の見直しもそうした流れの一環だとすれば、権力の暴走にほかならない。

 そもそも、核兵器の脅威によって安全が保たれるという核抑止論は幻想なのである。世界が疑心暗鬼に陥り、果てしない核軍拡競争につながるだけだ。さらに核兵器使用を辞さないテロリストや暴君には、理性を前提とする制御は通用しない。破綻していることはもはや明白だ。

 現実との矛盾はあるにせよ被爆国が守ってきた三原則のたがが外れれば、東アジアの非核化どころか核軍拡競争を勢いづかせることになろう。

 米国が広島・長崎に投下した原爆の影響で、80年を過ぎた今なお苦しんでいる人々がいる。いまだに肉親の骨さえ見つからない人もいる。家族や友人を失い、自らも傷つきながらかろうじて生き残った被爆者たちは「ほかの誰にも同じ思いをさせたくない」と体を張って核使用の結末を証言してきた。

 悲劇を繰り返さないためには核廃絶しかないという現実を、高市首相は直視しなくてはならない。三原則を堅持し、非核の理想に近づく努力こそ求められる。

 「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」を目指すのであれば、世界の平和構築のため、むしろ非核三原則を法制化し「核の傘」から抜け出す道を率先して選ぶべきだ。

(2025年11月16日朝刊掲載)

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