[被爆80年] 「原爆焼」児童施設に寄贈 爆心地の土を混ぜ惨状伝える
25年11月21日
東広島出身清川さん 学園の歩み聞き快諾
広島に投下された原爆の爆心地近くの土を混ぜて制作したとされる陶器「原爆焼」が、東広島市西条町田口の児童養護施設「広島新生学園」に寄贈された。被爆の惨状を伝え、売り上げの一部を戦災孤児の支援などに充てるため1950年ごろに作られたとみられる。引き揚げ孤児や戦災孤児の収容所だった学園の成り立ちを知った所有者が関係者を通じて贈った。(石井雄一)
所有者は、東広島市出身で現在は広島市内に住む会社員の清川和正さん。2021年に岩国市の骨董(こっとう)店で偶然見つけて購入した。広く見てもらえる場所を探す中で、知人の東広島市立美術館の学芸員に相談。学園の歩みを聞き、寄贈を快諾したという。
高さ6センチ、直径11センチの抹茶茶わん。側面に、中国新聞の速記部長を務めた歌人、故山本康夫さんの短歌「たひらぎの 祈りのなかに ひろしまの かなしミの日を またおもひいづ」や、「広島原爆中心地の土 原爆焼」などの言葉が刻まれている。
原爆焼は福山市神辺町の団体が50年ごろに作ったとされる。同年7月13日付の中国新聞には「原爆焼」の記事が紹介され、売上金の一部を広島市の復興や戦災孤児救済の資金として寄付すると記されている。原爆焼は、原爆資料館(中区)や県立歴史博物館(福山市)も所蔵している。
今月中旬、市立美術館の学芸員たちが同学園を訪れ、上栗哲男園長(76)や同学園の児童心理治療施設の上栗明男園長(71)に手渡した。明男園長は「原爆焼が行き場を探していたようで親近感を覚える。子どもたちにもその由来を伝え、8月6日の慰霊行事で慰霊碑に供えるなど活用していきたい」と話している。
(2025年11月21日朝刊掲載)








