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被爆したルーメル神父 上智大の教え子ら 証言収録

■記者 水川恭輔

 ナチス政権下のドイツから逃れ、布教活動をしていた広島市内で被爆者を救護した上智大名誉教授クラウス・ルーメル神父(92)=東京都練馬区=の「遺言」が今夏、かたちになった。戦後は、大学教授として核兵器廃絶を諭し続けた人生だった。教え子たち5人が「人道的な姿を若い世代に学んでほしい」とDVD(15分)にその肉声をとどめた。

 ルーメル神父は、イエズス会の長束修練院(広島市安佐南区)の玄関で、「あの日」を迎えた。「その時、大きな稲妻のようなものが見えた。すぐに近くの山に登って街を見ると、広島の街全部が燃えていた」。ルーメル神父はそう証言する。

 爆心地から約4キロ。爆風に耐えた修練院には、大やけどを負った人たちが押し寄せた。畳敷きの礼拝堂、図書室などに約80人。医師でもあった院長のスペイン人、ペドロ・アルぺ神父(1991年に死去)の指示で、負傷者の身体のガラスを抜き取ったり、薬を探しに行ったりした。

 来日前、ルーメル神父は、ヒトラーを支持する青年団に強制的に登録され、宣伝部員を務めた。「戦争はいけない」との心の叫びからイエズス会に入り、布教で日本に渡った。1937年だった。

 そして苦しみ、もがく被爆者と向き合う。その惨状で「戦争はいけないとの思いで神父の道を選び、間違いなかった」と確信。平和は教育からと考え、戦後は1953年から上智大で教育学を教え、学生に被爆体験を語った。

 DVDの制作は、神父の下で学んだ江島正子明和学園短大教授(69)ら5人の卒業生が企画した。被爆から64年。ルーメル神父が少しの後悔と怒りをDVDでにじませ語る。「核廃絶運動をもっとやらなければならなかったと思う」「世界には広島の原爆の何百倍もの威力のある核兵器がある。どこかの国が1発でも使えば報復が起こり世界は破滅です」―。

 それでも希望はある。被爆翌年、修練院でルーメル神父のフルートの演奏を聴いた人がいる。廿日市カトリック教会の長谷川儀神父(78)である。被爆で全身にやけどをしたが、アルぺ神父たちの治療で一命を取り留めた。献身に心を打たれ、戦後は同じ道を歩んだ。

 長谷川さんはDVD完成の知らせに、「あの時、フルートの音を聴き、生きる楽しさを感じた」と鮮明な記憶をたどり、こう言葉を添えた。「戦時下に国籍や人種を超えた助けがあったことを知ってほしい」―。

(2009年8月6日朝刊掲載)

 

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