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「原爆・平和」出版 この1年 核なき世界へ地道な継承

■記者 伊藤一亘

 被爆から64年。現在も核兵器を取り巻く状況は不安定で、各地で争いが絶えない。そんな時代の指針とすべく、この1年も数多くの「原爆・平和」に関する本が出版された。戦争を知る世代の手記や、埋もれた過去に光を当てた物語、原爆投下の検証など、平和の構築に向けた地道な出版活動は続く。

歴史の検証 「投下」是非や真相探る

 今なお、原爆投下の是非は議論の対象だ。

 J・サミュエル・ウオーカー「原爆投下とトルーマン」(彩流社)は、トルーマン政権の検証を通じて原爆使用の真相に迫る。三浦俊彦「戦争論理学 あの原爆投下を考える62問」(二見書房)は、原爆投下の是非をめぐる論理的思考だ。君島東彦編「平和学を学ぶ人のために」(世界思想社)は、平和学研究者20人が、戦争の原因や武力紛争の予防・解決策、国際機構の強化などを論じている。

 新田光子編「戦争と家族―広島原爆被害研究」(昭和堂)は、家族単位の被害把握の重要性や原爆孤児の問題を探求した。広島の市民団体「YES!キャンペーン」実行委は核廃絶の道筋を示したヒロシマ・ナガサキ議定書を解説した「ヒロシマ・ナガサキ議定書を読む絵本」を作った。

 森重昭「原爆で死んだ米兵秘史」(光人社)は被爆死した米兵捕虜21人を追跡調査した。岡本好古「悪魔の小太陽」(原書房)は原爆の開発に携わった米国の技師らの物語。高瀬毅「ナガサキ 消えたもう一つの『原爆ドーム』」(平凡社)は、戦後、浦上天主堂の遺構が撤去された謎に迫る。晩豊彦「二すじの道」(文藝書房)は、尾道市出身で、戦後海外に取り残された日本人の帰還に尽くした外交官、工藤忠夫の生涯を描いている。

次代に伝える 戦時や被爆体験つづる

 記憶を次代に受け継ぐ取り組みは続く。福島和男「平和記念公園の下に眠る幻の中島界隈・原爆 家族を捜して」は、旧中島本町の生活と被爆後に家族を捜し歩いた日々をつづる。寺西正子「ヒロシマ 消えた鳥屋町―81才の追憶」(溪水社)は、広島県物産陳列館(原爆ドーム)を訪れた思い出など、鳥屋町(現中区大手町)での暮らしを振り返る。

 井上清司「ヒロシマ 今を生きる愛のきせき」(文芸社)は、被爆翌日に疎開先から家族を捜して広島市内に入り被爆した体験記。梶杏子「ヒロシマ 消えない記憶」(龍書房)も被爆体験を基にした短編18編を収めた小説集だ。中沢啓治は「はだしのゲンはヒロシマを忘れない」(岩波書店)で、執筆の苦労とともに原爆への憎しみをつづる。

 戦争を知る世代も高齢化、声を集める取り組みは待ったなしだ。新世紀に戦争を語り継ぐ会(廿日市市)は「三世代がいま語るわたしの戦争」(汐文社)で、世代が異なる31人から戦争体験を集めた。ヒロシマ青空の会は4人の被爆体験を「遺言『ノー・モア・ヒロシマ』」第5集にまとめた。今石元久編著「原爆の声」(溪水社)は、被爆を語った3人の録音が入ったCDが付属する。

 「原子野を生きのびて―兒玉光雄オーラル・ヒストリー」(広島大文書館)は、旧制広島一中で被爆した体験と、その後の人生を記録した。新日本婦人の会広島県本部の「木の葉のように焼かれて」第43集、ひろしまを語り継ぐ教師の会の「語りびと」は、貴重な体験証言集だ。

 武蔵野けやき会は広島24人、長崎9人の証言を基に「武蔵野から平和を世界へとどけよう」を編さん。東京都原爆被害者団体協議会「座談会でつづる 東友会の50年」、寝屋川市広長友の会「ヒロシマ・ナガサキ 八月のあの日~寝屋川・被爆者からのメッセージ」など各地で取り組みは続く。朝日新聞長崎総局編の「ナガサキノート」(朝日新聞出版)は、新聞連載した31人の被爆体験を収めた。

広がる表現 貴重な写真資料目立つ

 元中四国詩人会長の詩人、御庄博実は「ふるさと―岩国」(思潮社)に基地機能強化が進む古里への怒りの言葉を連ねた。上田由美子も詩集「八月の夕凪」(コールサック社)に核廃絶への願いを込めた。故栗原貞子の文学資料を所蔵する広島女学院(広島市東区)は、未発表詩41編を小冊子「生ましめんかな」にまとめた。

 広島県内の文学碑を紹介する西紀子「広島の文学碑めぐり」(溪水社)には、大田洋子の碑など原爆文学に関する10カ所の碑も。天瀬裕康「梶山季之の文学空間」(同)は、広島ゆかりの作家がどう原爆と向き合ったかに迫る。沢地久枝、佐高信「世代を超えて語り継ぎたい戦争文学」(岩波書店)は、原民喜の「夏の花」などの戦争文学案内だ。

 DVDブック「オキナワを歩くⅡ」(ノンブル社)は広島経済大(広島市安佐南区)の学生が沖縄戦跡を巡った体験などを記録した。Chim↑Pom・阿部謙一編「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」(無人島プロダクション)は、広島市上空に「ピカッ」と文字を描いた自らの騒動を検証した。

 貴重な写真資料も目立った。映画「ヒロシマ・モナムール」の撮影で広島を訪れた仏女優エマニュエル・リヴァの写真集「HIROSHIMA1958」(インスクリプト)は、49点の白黒写真から復興に向かう街の様子が伝わる。徳山高専(周南市)教授の工藤洋三らによる「写真が語る日本空襲」(現代史料出版)は、訪米調査を繰り返して新たに発掘した写真を基に日本空襲を調査。爆撃でハチの巣状になった岩国の航空写真などを収めた。

 次代を担う若者や子どもたちに向け、絵本や漫画でのメッセージも定着した。

 ピュリツァー賞受賞作家、アリス・ウオーカーの「なぜ戦争はよくないか」(偕成社)は、戦争に巻き込まれ、傷つく子どもを増やすまいとの願いがこもる。「ヒロシマのいのちの水」(文・指田和、絵・野村たかあき、文研出版)は、原爆慰霊碑に水をささげ続ける広島市南区の宇根利枝さんをモデルに、平和の尊さを訴える。

 漫画家松尾しよりの「君がくれた太陽」(講談社)は、綿密な取材を基に原爆を描いた意欲作。「夕凪の街 桜の国」で知られるこうの史代の「この世界の片隅に」(双葉社)は戦時中の呉を舞台にした。白土三平「消え行く少女」(小学館)は、1959年に刊行された長編少女漫画の復刻。広島で被爆し、戦後の復興から取り残された母娘を描いた異色作だ。

(2009年8月6日朝刊掲載)

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