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「広島原爆」写真間違い 「世界を変えた100日」収録

■編集委員 西本雅実

 世界有数の科学教育団体の「ナショナル ジオグラフィック協会」(本部・米ワシントン)と画像提供会社の「ゲッティ イメージズ」(本社・シアトル)が写真を選定して一昨年に刊行し、邦訳は「世界を変えた100日」に収録されている「1945年8月6日」を伝える写真が、広島でないことが分かった。同社は被爆地からの指摘を受け、サイトに載せている写真説明を修正した。

 問題の写真は、「広島にて。原爆投下による火の海から逃げまどう日本人たち」と原書のままの説明で、昨年10月に出た日本版(現在は3刷)でも使われている。

 しかし、「8月6日」とみるには、あまりに不自然なことが浮かび上がってきた。

 人々は、防空ずきんをかぶり、冬服の装い(被爆者の証言や絵、被爆直後の市民を撮った松重美人さんの写真にみられるように、助かった人も着衣や皮膚が焼けた)▽木造建造物が倒壊せずに燃え、周りには木も立つ(木造は原爆の爆風でたちまち倒れ、爆心地から半径約2キロが全焼)▽当日に地上からの撮影は35枚(うち25枚は原子雲)が確認されているが、この写真を撮ったという人が名乗り出た記録はない。

 写真の検証をした原爆資料館(広島市中区)の落葉裕信学芸員らは、「広島でないとみて間違いない。被爆の実態が世界中にあの程度のものかと、誤解されかねない」との見解で一致した。

 国内の発行元は「増刷の機会があり次第、表記を改め、指摘は本部にも伝える」と回答。写真の所蔵元で「原爆炸裂(さくれつ)直後」と載せていた同社サイトは「日本への空襲で避難する人々」と修正した。同一カットのもう1枚の説明も直すとしている。

 原爆の記録写真は、米軍が日本占領期に接収する中で誤ったまま渡ったケースが珍しくない。昨年も米国の歴史学者が関東大震災の写真を「未公開の広島」とネットでも紹介し、欧米のメディアが大きく報じた。

(2009年8月4日朝刊掲載)

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