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社説・コラム

「誰でも参加できる平和活動を」

平尾順平さん(31)=広島市中区
市民活動家。「from grassroots広島(広島の草の根から)」代表

■記者 桑島美帆

 「平和はみんなのもの。広島の若者から平和のうねりをつくりたい」-。昨年3月に、7年間勤めた日本国際協力センター(JICE)を退職し、広島を拠点に平和活動に携わる平尾順平さん。昨秋、地元の10-30代を中心に約40人を束ねて、「from grassroots広島(広島の草の根から)」を結成した。「カフェとかホールとかどこでもいい。あたりまえに平和を話し合う機会を広島でつくりたい」。9月の主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)に向けて、勉強会も開く。若い世代の新たなうねりの発信役を担う。

-平和活動に携わるきっかけは何ですか。
 1998年5月から12月にかけて、大学を休学し、バックパッカーとして香港からアジアや中近東、東欧など15カ国を回った。行く先々で「広島から来た」というと、みんなが町の名前を知っていて、あらためてヒロシマの知名度に驚いた。でも「放射能はもう残っていないのか」「人は住めるのか」といった質問も何度も受けた。「被爆地広島」は知られているけれど、今現在の広島の姿はほとんど知られていない。62年前で止まっている。過去の史実に立った上で「平和を発信する広島」をもっと世界に広めたいと考えるようになった。

-広島で生まれ育って感じることは。
 80年代の公立小中学校で受けた原爆、平和教育は悲惨な体験が中心で、オドロオドロしく怖いものだった。かつての原爆資料館も子どものころは二度と行きたくない、と思っていた。恐ろしい被爆の光景を伝えることも必要だけれど、それだけでは人は遠ざかってしまう。
 僕の祖母は入市被爆をし、親は胎内被爆している。でも、祖母から被爆体験を聞いたことは一度もなく、3年前に亡くなってしまった。たぶん僕らの世代が、普通に日常生活で被爆者と接する最後の世代だと思う。被爆者から直接聞いた話をきちんと咀嚼(そしゃく)し、次の世代に伝えたい。過去と未来の「つなぎ」の役目を果たしたいと思う。


-「草の根」の力について。
 バックパッカーとしてパキスタンに約1カ月滞在していたころ、ちょうどインドとパキスタンの核実験があった。宿泊先で、僕が広島出身ということが分かると、たくさんのパキスタン人に囲まれ、質問攻めにあった。国レベルでは、インドとパキスタンの対立は根深いが、そこにいたパキスタン人たちは「核兵器は使うべきではない」「インドと対立しなくてもいいのに」とこぼしていた。
 また、JICEのスタッフとして、数か月間単位で、キルギスタンやウズベキスタンなどに滞在し、人材育成に携わった。どのプロジェクトを動かすのも、すべては人と人とのつながりから始まった。国の枠組みを超えた、一人一人の力は大きいと思う。


-今後の活動を教えてください。
 平和活動は特定の団体や人のためにあるわけではなくて、誰でも参加できるもの。できるだけ多くの人を巻き込んで、小さな平和から大きな平和までを考えていきたい。昨年は、広島で「国際非暴力デー(10月2日)」にちなんだ平和集会や、ドキュメンタリー映画「不都合な真実」の上映会、エコ展などを企画した。今年も、広島市や周辺でエコ展を開催する。また「from grassroots広島」として、9月の議長サミットにも働きかけをしたい。まずメンバーを集めて勉強会から始める予定だ。

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