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社説・コラム

「今あらためてヒバクシャの声が説得力を持つ」

ダイアナ・ルースさん(59)=米オハイオ州
元アキバ・プロジェクト記者。オービリン大学理事

■記者 桑島美帆

 1980年にラジオ記者として「アキバ・プロジェクト」に参加、ヒロシマを取材したダイアナ・ルースさんがこのほど、広島と長崎の被爆者11人の証言集「teach us to live-stories from Hiroshima and Nagasaki (生きることの意味を教えて-ヒロシマとナガサキの証言から)」を出版した。32歳のときに、被爆地広島、長崎で初めて被爆者の取材をして約30年。
 この間に4度来日し被爆者の聞き取りを重ねる傍ら、米国内で演劇や読み聞かせ、写真展などを実施してヒロシマ、ナガサキを伝えることをライフワークとしている。
 米国では、2001年の9・11米中枢同時テロ以降、日常的に「戦争」という単語が飛び交うようになった。「だからこそ、戦争がもたらす悲劇と人間が歩むべき道を示す被爆者の声が、あらためて説得力を持つ」と訴える。昨年末に来日した際、その思いを聞いた。

-なぜ本の出版を思い立ったのですか。

 約30年前、アキバ・プロジェクトで初めて被爆者の証言を聞き、心が突き動かされた。私の生き方、働き方、子育ての在り方、そして世界の見方など全てが変わった。核兵器の問題を、人と人の問題としてとらえるようになり、被爆者を助けるために、そして核兵器廃絶のために何か行動を起こさなくては、と思うようになった。
 しかし、いまだに米国の歴史教科書では、原爆についての記述は「アメリカ合衆国は広島と長崎に原爆を落とした」「戦争が終わった」ということしか書かれていない。被爆者個人の話など、どこにも触れられていない。
 「軍隊に入ろう」「テロリストを殺せ」…。最近の米政府は、戦争を美化し、若者の戦意をあおるスローガンをどんどん打ち出している。愛国心をくすぐる表面的な言葉が横行し、誰もが「戦争」の背後にある事実を見過ごしている。戦争が始まれば、多くの人が殺される。特に核戦争は悲惨な結果をもたらす。
 被爆者の証言を通して、戦争と核がもたらす「現実」を伝えたい。1970年代、80年代に生まれた私の子どもたちも成人した。わが子や次の世代に被爆者の証言を伝えるときがきた、と感じている。

-特に本の中で伝えたかったことは。

 被爆者がたどってきた生き方に、多くのことを学び、勇気づけられた。夢だった結婚や子育てをあきらめ、何度もケロイドの手術を受け、あるいは家族と死別するなど、被爆者の苦しみは深い。しかし、被爆者は悲惨な経験だけを積んできたのではない。苦しみを乗り越え、体験証言に全力を傾けてきた人、詩や絵を描いて原爆の記憶を伝えてきた人…。生き方はそれぞれ違うが、今回本で紹介している11人は、皆前向きに生き、明日への希望を見いだしている。恐ろしい被爆体験だけではなく、彼らの生きる力や生き方こそ重要だ。

-過去30年間、米国で「ヒロシマ」「ナガサキ」のメッセージを伝える活動をするなかで、市民の反応はどうでしたか。

 ペンシルべニア州のラジオ局を退社し、1981年に引っ越した米国中部のオハイオ州を拠点に、原爆劇の巡回公演や、写真展、子どもたちへの読み聞かせなどをしてきた。かつては、行く先々で第二次世界大戦を経験した退役軍人に「パールハーバーはどうなってるんだ」と強い口調で言われることもあった。そのつど私は「これは過去のことを伝えているのではありません。第二次世界大戦のことでもありません。未来のことなのです。将来わたしたちの身の上に起こりうることなのです」と説明し、納得してもらうよう心掛けた。
 最近は戦後生まれが増え、反応も変わってきた。「私たちは原爆のことを何も知らなかったんですね」と驚く人も少なくない。

-これからの世代に、「ヒロシマ」「ナガサキ」を継承する上で求められていることは。

 「被爆者の話は物語ではない。事実だ」という点を伝えること。なぜなら、今の子どもたちは、テレビゲームや小説の中に出てくる核兵器しか知らない。「原爆は人間の手によって開発され、落とされ、瞬時に大量殺りくがあった」という事実を教えることが重要だ。  そして、子どもたちに自分の問題として、原爆の歴史や核問題について考えてもらうことだ。子どもは素直。まるで自分のおばあさんのようなやさしい被爆者の話を聞くと、米国の子どもたちも平和を祈りながら折り鶴を折る。明らかに話を聞く前と後では反応が違う。
 子どもだけではない。私は政治家や大統領にも、被爆者の声を伝えていきたい。「核オプション」を外交政策に使うべきではない。テロリストが核を使う危険性があるからといって、核兵器の使用が正当化されてはならない。
 私の2人の息子は小さいときから、ヒロシマ・ナガサキの話を見聞きして育った。21歳になる次男のケビンは、大学に入るときのエッセーで「被爆者と会って感じたこと」をまとめた。彼は将来、作家を目指している。わたしは生涯、被爆者の声を伝える活動に携わりたい。そして、この活動を子どもたちが引き継いでくれることを願っている。

アキバ・プロジェクト
 米国の地方紙などの記者を広島、長崎に招いて被爆の実態を伝えてもらう事業の通称。当時、米国のタフツ大学准教授だった秋葉忠利氏(現在の広島市長)が提唱し、広島国際文化財団が実施した。1979年から10年間で34人が招かれた。

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