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社説・コラム

「ヒロシマ平和メディアセンター」 ウェブ開設にあたって

■センター長 田城 明

 核兵器廃絶と戦争のない世界の実現を目指して、中国新聞社が設立した「ヒロシマ平和メディアセンター」は三日、原爆・平和報道をベースにした日英両語のウェブサイト(ホームページ)を開設した。日本語だけでなく英語での核・平和関連情報の内容を充実させ、インターネットを通じて被爆地広島から世界へ発信する。

一日のセンター設立に向けて、他のスタッフとともに三カ月近く準備に当たってきた。この間に私は、あらためて被爆から六十二年余に及ぶ中国新聞の原爆・平和報道を振り返ってみた。

そこには先輩や現役記者、カメラマンが記録してきた膨大な量の記事や写真が蓄積されている。言うまでもなく、これらの記事や写真の多くは、被爆者をはじめ国内外の数え切れない人々による核廃絶・平和への取り組みの記録でもあるのだ。

一九四七年から続く八月六日の平和記念式典、炎天下や雪の日も繰り返されてきた被爆者や市民による原爆慰霊碑前での核実験抗議の座り込み、原水爆禁止を訴える反核団体や労組、市民らによる世界大会、被爆者による国内外での証言活動、小説や詩、音楽、絵画、映画、演劇など芸術活動を通じてのアピール…。

  原爆・平和報道は、核戦争の悲惨やノーモア・ヒロシマの願いを直接伝える取り組みのほかにも多岐にわたる。原爆後障害に苦しむ被爆者援護のための報道もあれば、広島・長崎以後の放射線被害者の実態を海外に追ったルポもある。広範なテーマは、ヒロシマ・ナガサキが提起する課題の大きさを示しているといえるだろう。

私自身も一記者として長年原爆・平和、核関連報道に携わってきた。特に八〇年代後半からは、核保有国の核被害の実態や、イラク戦争で傷ついた米退役軍人、インド、パキスタンが領有権をめぐって核対峙(たいじ)するカシミール地方の被害住民らの声をリポートしてきた。

  ヒロシマの体験を座標軸にした一連の記事は、手前みそを承知でいえば、世界へ発信するに足る普遍的なメッセージを含んでいると思ってきた。だが、その一方で、日本語ゆえに記事内容が当事者たちや関係国の人々にさえ読まれることのないもどかしさを感じてきたのも事実だ。

一つの例外は、二〇〇〇年に連載した「知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態」である。全文が英訳され、中国新聞のウェブサイトにも掲載されたために、取材対象国の英米やイラクからだけでなく、イタリアやベルギーなど世界各地から反響が寄せられた。インターネットの威力を実感したときでもあった。

放射能兵器である劣化ウラン弾の被害の実態を知ること、それが人々の意識を変え、使用や製造禁止を求める国際社会の動きとなる。八年前に連載した当時はなお、日本人を含め劣化ウラン弾の名前さえ知らない人がほとんどだった。しかしその後、ヨーロッパや日本などで反対運動が盛り上がり、昨年十二月の国連総会では、劣化ウラン(ウラン238)を含む兵器・砲弾が使用された場合の健康への影響についてさらなる調査が必要との決議が、圧倒的多数の賛成で採択されるまでになった。

核兵器の廃絶となると、巨大な軍産複合体の存在などその壁は一層高い。核兵器の本当の恐ろしさをさまざまな形で、核保有国や潜在核保有国の政治指導者や市民に伝え、根強い核抑止力信奉を崩さなければならない。

同時に、核兵器に象徴される武力に依存しなくていいような国際環境をつくっていくことが求められる。敵対する国家間や宗教、民族間の「仲介役」を務め、相互信頼をはぐくむのも被爆国や広島の地にふさわしい役割だろう。

誕生したばかりのセンターだけに、ウェブサイトの英文情報はまだ少ない。しかし、世界に向けて発信するための基礎的な態勢は整った。少し時間はかかるかもしれないが、「ヒロシマの教訓」に根差した、被爆地にあるメディアにふさわしい核・平和情報を世界に発信することで、核兵器や戦争のない「地球村」が遠からぬ未来に実現するよう、少しでも貢献したい。

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