×

社説・コラム

広島大名誉教授 舟橋喜恵さん 被爆者が救済の旗手になり他の戦争犠牲者との連帯を

※2008年4月27日付朝刊 「今を読む」から

 原爆症認定集団訴訟の地裁判決が各地で続いている。全員勝訴とならなかった場合も、厚生労働省の原爆症認定行政の在り方を厳しく批判している。原爆被害を過小評価する政府の姿勢も、被爆の実態にそぐわないとして厳しく断罪された。画期的なのは、残留放射線による外部被曝(ひばく)と内部被曝が、公的な場で認められたことである。

 連敗しても厚労省は控訴を続けた。一方、安倍前首相は昨年8月に原爆症認定基準の見直しを約束し、自民党の原爆被爆者対策小委員会も結論を早く出すよう厚労省に促した。

 ところが、「原爆症認定の在り方に関する検討会」が昨年12月に提出した報告は、わずかな手直しのみにとどまった。認定基準の積極的な見直しを主張する医師や物理学者などの意見を多く聴取したにもかかわらずである。政府の設置する審議会や検討会の限界を示すものといえよう。納得できなかった委員もいたと思う。

 そこで、与党プロジェクトチームが、国が原爆症認定審査のよりどころとしてきた「原因確率」を改めるよう動きだした。被爆者の病気がどれくらいの確率で被曝に起因するかを推定被曝線量などで機械的に割り出す審査方法の改正である。

 今年に入って厚労省の医療分科会は、原因確率による審査に代わる、「迅速かつ積極的に認定を行う」ための「新しい審査のイメージ」を提示した。だが、これは被爆者の間に線引きをする危険があるとして被爆者は警戒を強めている。原告団と日本被団協、弁護団は原爆症認定対策会議を開いて厚労省と交渉を重ねているが、正念場はこれからだ。簡単に政治的決着を期待できない状況である。

 原爆症認定集団訴訟では、政府は疾病の認定を提訴者だけに絞って、被爆者全体の問題として考えようとしていない。さらに、被害を放射線被害だけに限定しようとしている。原爆による被害は、爆風、熱線、放射線による総合的な被害である。そして地域社会をまるごと崩壊し、人間の命、身体、暮らし、心に深刻な被害を与えたのである。

 ところが1980年に、厚生大臣(当時)の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」は、戦争による犠牲は受忍すべきだとの意見書をだし、原爆被害を放射線による特殊な被害に限定してしまった。さらに厚労省は放射線被害を初期放射線に限定して、それを認定基準に持ちこんでしまった。これが原爆症認定者が被爆者全体の1%にも満たない状況をつくりだしたのである。

 原爆被害者を戦争被害者として国に認めさせることは、被爆者の後ろに控える広範な戦争被害者を同様に認めさせることである。戦争犠牲者の先兵として、被爆者以外の戦争犠牲者たちを救済するための門戸を開くことは、被爆者運動が目指すべき理念とも言える。運動が一般戦災者へと広がれば、受忍論を克服し、広範な国家補償への道を開くことになる。政府が恐れるのは、これである。

 しかし門戸は簡単には開かれない。国家補償としての援護法もなかなか実現しない。先兵が先兵としての役割を果たせないまま時間が経過した。年月は最初の目標を不鮮明にしてしまう。被爆者だけが戦争犠牲者ではないにもかかわらずである。

 確かに日本政府は、先兵である被爆者に対してすら責任をとろうとしない。しかし被爆者は、政府の戦略に巻き込まれることなく、他の戦争犠牲者のことを忘れず連帯をすすめるべきである。国内的には広く一般戦災者と手を結び、国際的には原爆投下以後の無数の核被害者たちと、まず連帯すべきである。

 世界被団協を! これが日本被団協の初代事務局長であった広島の藤居平一氏の遺言であったことを、最後にご紹介しておきたい。

ふなはし・よしえ 名古屋市生まれ。専門は社会思想史。原爆被害者相談の会代表。著書「ヒュームと人間の科学」など。広島市。

年別アーカイブ