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社説・コラム

コラム 視点 「永久のみどり」

■センター長 田城 明

 まばゆいばかりの新緑に覆われた広島市中心部の平和大通りと平和記念公園。そこを舞台に3日から5日まで、ひろしまフラワーフェスティバル(FF)が繰り広げられた。原爆の惨禍を乗り越え、焦土から復興した街に生まれた花まつりも今年で32回。歌や踊り、パレード…。幼子からお年寄りまで、今年もまた3日間で、150万人以上が繰り出し、まつりを楽しんだ。

 広島にとって、8月6日は原爆犠牲者を慰霊し、再び戦争という「過ちを繰返しませぬから」と、犠牲者の御霊(みたま)に誓いを立てる日である。世界の平和と核兵器廃絶の実現に向けて働くことを誓う日でもある。それに対して5月の3日間は、現在の都市を復興させた先人たちの努力への感謝と、平和な世に生きる喜びを宗教や民族、国籍の違いを超えてあらゆる人々とたたえ、分かち合う日である。

 そんな願いをこめて始まった平和のイベントには、緑が映え、戦争放棄をうたった日本の新しい憲法が施行された5月がふさわしい。自らの被爆体験に基づく小説「夏の花」などの作品を残した作家の原民喜は「永遠のみどり」という詩の中でこう書く。

  ヒロシマのデルタに
  若葉うづまけ
  死と焔の記憶に
  よき祈よ こもれ


  とはのみどりを
  とはのみどりを


  ヒロシマのデルタに
  青葉したたれ

 原爆によってはぎ取られた凄惨(せいさん)な世界を見てしまった作家は、したたる青葉に平和のイメージを重ねた。しかし原は、朝鮮戦争が始まった翌年の1951年に東京・中央線の線路上に身を横たえて45歳の生涯を閉じた。国の内外に戦争の足音がし、人類の未来を悲観しての自殺だといわれている。

 原の死から57年。世界有数の軍事力を持つにいたった日本では、平和憲法改正の声がかまびすしくなった。被爆者で児童文学作家の那須正幹さんはこうした風潮を「いつの間にか世の中は『いつか来た道』を歩もうとしている」と危機感を募らせる。彼と同じ思いを抱く被爆者や市民約1200人は5日、FF会場そばのアステールプラザで「9条世界会議・ヒロシマ」を開き、日本の平和憲法を生かし9条の精神を「世界に広めよう」とアピールした。

 花のまつりと日本国憲法。二つは決して無縁ではない。平和を失うとき、市民の手で育て、育てられてきたまつりもまた、容易に失われる。

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