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社説・コラム

エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で

■表現アーツセラピスト 笠井綾

 勤務している病院で、気分障害のあるアメリカ人女性に鶴の折り方を聞かれた。なぜ鶴を折りたいのか尋ねると、「私の心に平和が訪れるように祈るのよ」と言う。細かい手作業を繰り返し行うと心が落ち着く。千羽鶴を折るという行為は「祈り」の形として受け入れられやすいのかもしれない。また、1枚の紙が羽を持つ美しい鶴になることは、「希望」や「変容」を連想させる。

 千羽鶴は原爆からのコミュニティーヒーリングに欠かせないだけでなく、多国共通のシンボルとなり生きている。それはアートにどのような怒り、悲しみ、苦しみをも受容し、変容させていく力があるからだ。一方、アートは被爆体験を伝える媒体ともなっている。原爆の絵、詩、演劇、絵本、漫画などに心を動かされたことがある人は多いだろう。芸術は言葉だけでは伝わらないことを、私たちの六感を刺激して伝えてくれる。

 私はこのようなアートの可能性を知る仲間たちと、「こころとからだで考える平和」という活動をしている。昨年5月に広島で行った「HIROSHIMA STORIES」ワークショップと演劇公演では、被爆者のお話や自分たちの心の動きをアート表現を用いて分かち合ったり、自己と歴史のつながりを見つめたりした。広島プレイバックシアターによる公演では観客の中から語り手を募り、それぞれの語る「私とヒロシマ」を劇団が即興で表現した。ある教師は修学旅行の引率で広島に来て感じたことを話し、またある若者は被爆者の祖父との何げない会話から感じたことを話してくれた。プレイバックを通して、私たちは彼女らのストーリーに六感で共感した。

 若者が受け身で終わらない平和教育、言葉だけに頼らない表現手段、また語る体験自体が癒やしにつながるような被爆体験継承手段が今、必要とされている。ある語り部の方が、「言葉だけではなかなか伝わらない。話すことはとてもつらいです」と話されていた。語るというのは大変なことだ。話し出すとその時の感覚が次々とよみがえる。

 最近の脳の研究では、恐怖に直面した時に私たちの脳では体験を言語へと変換する機能が停止し、そのほかの感覚が研ぎ澄まされた状態で情報を記憶する。そのため恐怖体験の記憶は多くの場合、まず言語ではなく身体的な感覚としてよみがえるということが示されている。被爆体験継承にアートが効果的な理由だ。

 また、戦後世代に被爆体験談から何かを得てもらうためには、彼らの「共感力」を引き出してあげなければならない。恐怖感を与えるだけの平和教育は無関心をあおる。「私には関係ない戦争の話」は心と体で感じ、わき上がるさまざまな感覚や感情に気付き表現することで、「被爆体験を聞いた私のストーリー」に変わる。平和を創(つく)るということは、他人の気持ちが分かり自分の声を持つ人を育てること。アートは目に見えないものや言葉にならないことを感じ取れる形にし、年齢、性別、民族、思想の枠を超えて人々が「共感」を体験できる時間、空間を創り出す手助けをしてくれる。そして知能や年齢にかかわらず、一人一人の声を表現する手段を与えてくれる。

 いつの日か私たち戦後世代が、被爆体験を伝えていかなければならない日が来る。戦争や災害などの惨事が起こると、人は古代からアートを通して祈り、伝えてきた。そしてそれはこれからも変わらないような気がする。

かさい・あや
 1974年広島県海田町出身。臨床心理学修士。米国の病院で臨床に携わる傍ら、芸術を生かした平和教育を提唱する。今年7月に広島ワークショップを予定。被爆三世。米国オークランド市在住。

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