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社説・コラム

第五福竜丸事件から54年 隠された「核被害の真相」

■ヒロシマ平和メディアセンター事務局長 難波健治

 54年前(1954年)の3月1日、太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で「ブラボー」と名づけた一発の水素爆弾が爆発した。米国にとっては2回目の水爆実験で、その爆発力は広島型原爆の1000倍もあった。半月後、危険水域の外で操業していた日本漁船第五福竜丸が被曝(ひばく)していた事実が明らかになった。

 この実験で被災した船は、日本政府の調べだけでも856隻にのぼる。放射能汚染で廃棄された魚は486トン。当時の米原子力委員会ストローズ委員長によると、放射性降下物(死の灰)は福竜丸の乗組員23人にとどまらず、米兵28人、マーシャル諸島の住民236人にも降り注いだ。

 ところが、実験から10カ月後の55年1月、事件は日米両政府によって政治決着がはかられた。米政府から見舞金(7億2000万円)を支給された見返りに、日本政府は事件にかかわる問題はすべて解決済みにするとの立場を表明した。無線長久保山愛吉さん(当時40歳)が亡くなり「水爆による犠牲者第一号」が出ていたが、事件は事実上封印されたのである。

 幕引きの裏に何があったのか。第五福竜丸事件(ビキニ事件)が現在の私たちに問いかけている意味を、広島市立大広島平和研究所で核時代の真相を追究する高橋博子さん(歴史学)に聞いた。

◆広島市立大広島平和研 高橋博子助教に聞く
    残留放射線の影響過小評価 米政策に日本追従


 ―3・1ビキニデーがやってきました。事件が私たちに問いかけているものは何でしょうか。
 中国製のギョーザに始まった農薬混入事件で、私たちはいまこんなに大騒ぎしている。でも、54年前のマグロ汚染パニックの時には全容解明がなされないまま、魚体検査を早々と打ち切った。死の灰を大量に浴びて犠牲者まで出した事件にふたをした。そこには、大きな政治の力が働いていた。そのことをしっかり振り返ってみる必要がある。

 ―事件がきっかけとなり、東京・杉並区の主婦たちが呼びかけた原水爆禁止の署名運動が世界に広がりました。それとは別に、「負の側面」というべき歴史的事実があったということですね。
 事件が明るみに出た後、放射能に汚染されたマグロが出回り家庭の食卓が脅かされた。生活者の視点で原水爆への反発が高まった。原水爆禁止の署名は日本だけで3000万人を超え、世界の科学者が放射性降下物の影響に警鐘を鳴らした。後に大気圏核実験が停止される大きなきっかけになった。核兵器が生活を脅かす存在だということを大勢の人に強く意識させたという意味で、事件は計り知れない影響をもたらした。

 しかし、米政府が当時行ったのは、事件の全容を明らかにすることではなく、むしろ隠ぺい工作をすることだった。

 ―初期放射線と残留放射線の使い分けがポイントだったようですね。
 ビキニ水爆実験の被害は、明らかに死の灰に含まれる残留放射線によってもたらされた。爆風や熱線によるものでもなく、爆発後1分以内に発生する初期放射線によるものでもない。

 米政府は広島と長崎への原爆投下について、いずれも空中高く爆発したため、残留放射線の影響はないという声明を繰り返していた。ところがビキニ被災は「たいしたことがない」はずの残留放射線が大きな影響をもたらすことを示した。

 米原子力委は翌年、初めて放射性降下物の影響を認めた。しかし、広島と長崎への原爆は従来通り、「空中高く爆発したから影響はない」との説明に固執した。

 この見解に基づき米政府は、残留放射線が発生しても連邦民間防衛局が指示する通り、伏せたり隠れたりすれば助かると説明した。民間防衛という言葉は、日本政府が今進めている国民保護計画の基になった。つまり日本政府は原爆被害を過小評価する米国の核兵器対策に従っている。

 ―広島、長崎の被爆者が見直しを求めてきた原爆症の認定基準と、ここにきて日本政府が自治体に義務づけている国民保護計画。そのルーツはいずれもアメリカにあるということですか。
 そうです。加害者である米国が「残留放射線による被害はたいしたことはない」とする論理をそのまま原爆症認定基準にあてはめているから、被爆者健康手帳所持者のほとんどが原爆症として認定されないというおかしなことが起きる。

 ―ところでビキニ事件で米国の情報操作は狙い通りにいったのですか。
 核大国アメリカは、その後も太平洋と米西部ネバダで核実験を繰り返した。実験はさまざまな角度から分析され、核大国として情報を蓄積していった。そして核抑止論に基づき、核兵器の威力を示す情報は積極的に公開するが、人体に対する放射線の影響など核開発にとって不都合な情報は、国家安全保障を盾に公開しない、という態度が続いた。

 ―事件で被害者の国民を守る立場にあった日本政府はどうでしたか。
 日本政府は核実験に疑問を呈すどころか、核実験を繰り返し、核開発を推進する米政府を支持し続けた。汚染マグロの調査はしたけれども、福竜丸以外の数百隻にのぼる被曝船乗組員の調査は全くしようとしなかった。

 日本政府が実相の解明に消極的だったのは、解明されるとまずいことがたくさんあるからだ。米国立公文書館で90年代になってやっと機密解除され始めた核実験関連文書の中にも、いまだに機密扱いされている文書が多くある。第五福竜丸事件に関する情報、54年12月28日のマグロ調査打ち切りに関連すると思われる情報はファイルから抜き取られていた。つまり、現在もこの事件は間違いなく機密扱いになっている。

 ―事件の全容解明ができたら、どんな意義があるのでしょう。
 核兵器がある限り、誰でも核被害を受ける可能性があることを明らかにできる。事件を解明すればするほど、開発する側の理由づけがいかにごまかしに満ちているかが明らかになる。

 兵器を開発し、その意義を宣伝する人たちは、性能や威力について強調するけれども、人体や環境への影響については語らない。そこで語られる威力は、現実に人間を殺し、悲惨な状況をもたらす威力のことでしかないのだと、受け止める必要がある。

 ―世界の核状況は、依然、厳しいものがありますね。
 核兵器廃絶への最大の敵は「無関心」だ。米政府はこの事件を忘れさせ、決着済みであるかのようなイメージを植えつけようと動いた。それがなかったら、市民の原水爆禁止への思いはさらに強いものになり、核兵器のない世界をつくることにもっと早く目覚めていたかもしれない。

 無関心でいるということは、だまされる側に甘んじること。米国生まれの詩人アーサー・ビナードが、第五福竜丸事件について語った中に「この物語が忘れられるのをじっと待っている人たちがいる」という言葉がある。私たちはヒロシマ・ナガサキと同じように54年前のビキニ水爆被災を忘れてはならない。

たかはし・ひろこ
 広島市立大広島平和研究所助教。1969年、兵庫県生まれ。アメリカ史専攻。富山大非常勤講師、早稲田大現代政治経済研究所特別研究員を経て2002年から現職。日本平和学会の分科会「グローバルヒバクシャ」共同代表。近著に「封印されたヒロシマ・ナガサキ 米核実験と民間防衛計画」がある。

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