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社説・コラム

コラム 視点 「ヒロシマの教訓」

■センター長 田城 明

 「ここはセカンド(第二の)ヒロシマです」。この言葉を耳にしたのは今から4年近く前の2004年4月、広島世界平和ミッションの第一陣メンバー5人に同行して、イラン北西部の山あいの町サルダシュト市を訪ねたときのことである。

 少数民族のクルド人が住むサルダシュトは、イラン・イラク戦争さなかの1987年に、イラク軍の毒ガス攻撃を受けた。イラク機が投下した7発のマスタードガス弾で、当時の人口約1万2000人のうち数日中に110人が死亡、この町だけで今も約5000人が呼吸不全や皮膚疾患などの後遺症に苦しむ。

 イラン国内からもあまり顧みられず、国際社会からも見捨てられた状態にあったイランの毒ガス被害者。それだけに私たちの訪問への期待も大きかったのだろう。自らの体験を「セカンド・ヒロシマ」と形容する背景には、被害住民たちの被爆地に寄せる強い思いがにじんでいた。

 「広島は世界が助けてくれた。うちらもここを見捨てちゃいけんと思う」。平和ミッションのメンバーの一人、薬剤師の津谷静子さん(52)は、深刻な健康状態にある被害者たちの思いを受けとめ仲間にこう訴えた。

 帰国後、病院での仕事の傍らに始めた現地との交流。彼女の熱意と行動力はやがて、広島の医師らを巻き込み、毒ガス被害者の治療に当たるイラン人医師や看護師らとの医療交流にまで発展した。

 新潟県出身の津谷さんは、結婚を機に広島市へ。医師だった義父から被爆直後に医薬品十五トンを被爆者のために届けたスイス人医師のマルセル・ジュノー博士らの活動についてよく聞かされたという。

 「広島の役割は原爆被害の実態を伝えるだけではない。戦争や紛争の被害者に手を差し伸べることも大切な使命…」。7年前に75歳で亡くなった義父から教えられた「ヒロシマの教訓」。それは「人道都市」として世界に貢献する被爆地の姿である。

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