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社説・コラム

米南部の都市で原爆展 和解生み出す被爆証言 市民・メディアが後押し

■広島平和文化センター理事長 スティーブン・リーパーさんからのリポート

 被爆者の寺本貴司さん(73)=廿日市市=と広島平和文化センター職員の沖田なつきさんが1月11日にアトランタ(ジョージア州)に到着以来、私たちはさまざまな地で被爆証言を交えた集会を開いてきた。アトランタで3回、アセンズ(ジョージア州)、エーケン(サウスカロライナ州)、コロンビア(サウスカロライナ州)、メンフィス(テネシー州)でそれぞれ2回、ノックスビル(テネシー州)、広島型原爆のウランを製造した核施設のあるオークリッジ(テネシー州)で各1回開催した。集会では中・高・大学生から成人、年配者まで幅広い層に語りかけた。参加者は熱心に耳を傾け、友好的で興味深い質問を投げかけてきた。人々は本当に多くの情報を求めていた。

ほとんどどの会場でも、集会後には多くの市民が私たちに近づき、「わざわざ話しに来てくれてありがとう。原爆のことはまったく知りませんでした。このような話を聞いたことがなかったのです」と言った。原爆投下により、100万人の命が救われたのは本当だろうか、といった質問も受けた。しかし、私たちが「原爆投下は必要ではなかった」と、当時の歴史的背景を踏まえて説明すると、彼らは抵抗なくその説明を受け入れた。

アトランタでは、集会を一風変わった会場の喫茶店で行った。その会場は、カリスという素晴らしい平和運動家が選んでくれた今風な場所だった。ここで開催したために、約80人の参加者のうち60人ほどは20代後半から30代前半の若者だった。参加者の多くが、私たちの示した被爆の実相に驚き、感謝の意を表した。

コロンビアでは、一人の女性が歩み寄って来て言った。「私の祖母は日本人です。被爆後に広島を離れて青森県に移り住んだ彼女は、私たちに一言も原爆について語ったことがありません。皆さんのおかげで、祖母が体験しただろうことを幾分理解できました」

300人以上が参加したアセンズでの原爆展と集会を準備したのは、グラフィックアーティストのニール・サモーナーさんだ。彼は16歳のときに広島を訪れ、約10年後に学生グループを引率して再び被爆地を訪問。ヒロシマに強いつながりを感じている彼は、原爆展開催のために1000ドル(約10万8000円)を寄付してくれた。

エーケンでは、放射線被曝(ひばく)の影響を受けている人々と出会った。エーケンは地球上でも放射能汚染のひどい場所の一つであるサバンナ・リバー・サイト核施設にほど近いところにある。参加者たちは、低レベル放射線被曝の影響について可能な限りの情報を得ようと切望していた。私たちはこの点について十分に役立つことはできなかった。しかし、会場で出会った人々は政治的な意識が高く、私たちの活動を支援すると約束してくれた。今後、大きな力となってくれるに違いない。

言うまでもなく、各地で大きな反響を得られたのは、寺本さんがその役割を的確に担ってくれたからである。最初は風変わりな会場や間に合わせの設備などに適応するのに若干の戸惑いがあったようだが、すぐに状況を判断し、今では与えられた時間内に証言を終える。その語りは人々の理性と感性を揺り動かした。私はこれまでに15回ほど寺本さんの体験を聞いているが、今でもなお新しい事実を知ってしばしば驚きを覚えている。寺本さんはまさに、個々の参加者に対応して話しているのである。

今回の大きな成果の一つは、メディアの注目を受けたことである。参加者がわずか30人というときもあったが、大学新聞や地元紙に大きく取り上げられた。地元の主催者から単に情報を得ているだけという記者もいるが、アセンズからわざわざアトランタにまでやって来た中国系アメリカ人記者もいる。この記者は深みのあるインタビューを行い、大学新聞に非常に好意的で役立つ記事を書いてくれた。アセンズからはもう一人の記者が地元紙に掲載するため、電話インタビューを行ってくれた。

テレビ取材もエーケン、コロンビア、アセンズ、メンフィスで受けた。今、私はこのリポートをメンフィスで書いているが、明朝、私たちは1時間のテレビ生番組に出演する。テレビを通じて同じほどの宣伝をしようとすれば非常に高額であり、私たちには到底できない。個々の記者がアメリカ市民に私たちのメッセージが届くように熱心に手助けしてくれており、その広がりは驚くばかりである。

何よりも私たちの巡回ツアーを組織してくれている人々の熱心な働きと寛大さに感激している。多くの時間、エネルギー、資金を費やし原爆展を開催し、集会についても広報してくれた。食事に連れ出し、自宅に招きいれ、歓迎してくれていると常に私たちに感じさせた。私は多くのアメリカ人がもつ温かさと寛大さについて再認識している。

集会を終えると何人もの参加者が寺本さんに歩み寄り、手を握り、目をじっと見つめて、感無量の様子で口々に言った。「来てくださって本当にありがとう。あなたをお迎えできたことを心から光栄に思います」。私は被爆者とアメリカ市民の間の、この和解の瞬間を目の当たりにすることに強い喜びを感じる。同時に、これら愛すべき人々を互いに憎みあうように、いまだ仕向けている世界の多くの指導者に憤りを禁じえない。

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