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社説・コラム

原爆投下正当化できぬ ゲバラの長女アレイダさん

■記者 馬上稔子

 「平和のために闘うには、絶対に広島に行くべきだ」。キューバ革命の指導者チェ・ゲバラは1959年、広島市を訪れた直後、家族にあてた手紙にこう書いた。米国との緊張関係が続いた時期だ。父の言葉を胸に、初めて広島を訪れた娘アレイダさん(47)に、自由を求めて戦った父の思い出などを聞いた。

-父ゲバラは7歳のとき亡くなりました。影響を受けましたか。
 思い出はあまりなく、母や第三者を通じて知ってきた。娘として、というよりもキューバ国民として生き方すべてを模範にしている。勇気を持ち、不可能にも思えた革命の夢を実現した。

-広島は非暴力による平和を訴えてきました。父ゲバラは武力を選びました。
 武器を使うか使わないか、それはその国に暮らす人々の決意の問題だ。今でも武力が自分の国を解放するために必要だというのは残念。しかし例えば、攻撃を受けているイラク人に、「武器を持つな」とその場にいない私たちが言うことは現実味がないし、私にはできない。  医療や教育が充実している今のキューバがあるのは、一歩一歩自分たちの手で勝ち取ってきたから。このように、その国が独立を求め、何かを守るために武器を持って立ち上がるなら私は支持する。

-父ゲバラは広島で「君たちは米国にこんなにひどいことをされて、怒らないのか」との言葉を残しました。
 当時と状況は違うだろう。ただ原爆資料館で説明を聞くなどして思ったのは、日本の加害責任の意識につながっているからかもしれないが、広島の人々の中には、原爆投下を自らしょうがないと受け止めている部分もあるのでは、と気になった。日本人はたくさん間違いを犯したし、残虐なことをしたかもしれないが、罪もない一般市民が犠牲になったことはどう考えても正当化できない。  小児科医師としても「子どもたちの命をどうして守れなかったのか」と無力感に襲われた。核兵器の使用は絶対に許されない。廃絶のためには、国民同士の対話により保有国の政府を動かすことが必要だ。経験を持って、世界に訴えることができる広島には、そのリード役を担ってほしい。

アレイダ・ゲバラ
1960年、キューバ・ハバナ生まれ。ゲバラが再婚した妻との長女。小児科医師で、キューバ親善大使も務める。チェ・ゲバラ研究センター(ハバナ)の運営にかかわり、アフリカや南米での医療支援にも携わっている。

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