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社説・コラム

ヒロシマ・ナガサキ議定書 核廃絶の推進力へ知恵絞る

■記者 馬上稔子

 2020年までに地球上から核兵器をなくす-。「2020ビジョン」をかかげる平和市長会議(会長・秋葉忠利広島市長)は4月末、実現に向け、世界に道筋を示した「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表した。2年後に開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議での審議を目指す。被爆から63年にわたり原点の地から訴え続けてきた核兵器廃絶へ、大きな推進力となるか。議定書を読み解いた。

 ヒロシマ・ナガサキ議定書の全文は平和市長会議のウェブサイトで読むことができる。日本語版のタイトルには「仮訳」の文字がある。なぜか。

 議定書を提案し、文書作成の中心的役割を果たしたのはオーストリア・ウィーンに住む平和市長会議のアーロン・トビッシュ専門委員(59)だった。つまり最初から英語で文案が作られ、議論を重ねていった。そんな事情が「仮訳」の背景にある。

 ではなぜ議定書だったのか。

 国際的な非政府組織(NGO)で活動したトビッシュさんは約20年前、部分的核実験禁止条約(PTBT、1963年発効)の改定を提案する議定書を作った経験から発案したという。

 「その議定書は結局採択はされなかったが、91年に核保有国の米国や旧ソ連などが議定書検討のための会議に集い、一定の成果があった。今回もこの方法で世界を巻き込めば20年までに核兵器を廃絶する流れが加速できると考えた」

 昨年8月、広島市で秋葉忠利市長や平和市長会議事務局を所管する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長らに意義や方法を説明。具体化のゴーサインを得た。

 リーパーさんはこのときの感想を「議定書の内容だけでは核保有国を動かせないだろうと思った。しかし一方で、これを使って世論を高めれば、核兵器廃絶に向けた『うねり』を作ることができる」と振り返る。

 トビッシュさんは最終的に2案をつくり、国際NGOのメンバーで構成し、世界に約30人いる平和市長会議のアドバイザーに意見を求めた。

 その結果、核保有国に「行動を求めることが大事」「(読む人に)緊急性を伝えられる」と、保有国の即時行動を明記した案の方に支持が集まり、今年4月、採用が決まった。

 文案づくりで最も知恵を絞った点についてトビッシュさんは「従来のように核保有国に対する軍縮交渉から行動へとつなげるのではなく、まず核兵器の取得などを即時停止させた後で交渉をするという流れにしたこと」と明かす。

 目標まで残り12年で核兵器をなくすには、核保有国との交渉を進めると同時に、すぐに行動を取るよう促さないと現実味を帯びない。今なら10年からの国連が定める「軍縮の10年」も追い風となる。

 核軍縮へ向けた動きはこれまで、核保有国の同意を得るため国連などを通じて交渉を重ねてきた。しかし、2000年のNPT再検討会議では核兵器廃絶に向けた明確な約束をしたものの、05年の会議では米国の強い反対もあって交渉が行き詰まり、何の成果も生み出せなかった。

 平和市長会議事務局は今後のシナリオをこう描く。09年の国連総会でヒロシマ・ナガサキ議定書を10年のNPT再検討会議で議題にするよう決議してもらう。これらの会議で話し合われれば、不透明だった各国の核軍縮への賛否を明確にできる。「核兵器廃絶に反対する国を明らかにし、プレッシャーをかけることができる」とその意義を強調する。

 しかし壁は低くはない。

 現段階では、国連総会決議や再検討会議での議案提出をどう政府に呼びかけ、可能にするかの具体的な計画はまだ立っていない。  またリーパーさんが「推進力となるのは議定書そのものではなく、市民や都市からの支持。それにより核廃絶実現が加速する」というように、世論だのみの印象もぬぐえない。  どのようにすれば核保有国が議定書に同意しやすいのか。核兵器ゼロをどう現実のものにするのか。核保有国のうち米国、ロシア、英国、フランスの四カ国から立法府のトップが広島を訪れる9月の主要国(G8)下院議長会議(議長サミット)なども逃すことのできない機会になるだろう。議定書を「推進力」とするための準備に残された時間は決して長くはない。

平和市長会議
  広島市と長崎市の提案で1982年に「世界平和連帯都市市長会議」として発足。2008年6月2日現在、129カ国・地域の2277都市が加盟する。90年に国連広報局の非政府組織(NGO)に登録された。広島市が会長都市を務める。

議定書
  条約の修正または補完の目的で用いられる文書。国際合意として成立すれば条約と同じ効力を発揮する。

各国へのアプローチ課題 広島修道大・佐渡准教授

ヒロシマ・ナガサキ議定書の課題は何か。広島修道大法学部の佐渡紀子准教授(35)=国際安全保障論=に聞いた。

 2020年までに核兵器を廃絶すると期限を切って段階的アプローチを提案している点は評価できる。これまでさまざまな交渉では漠然とした約束しかできていなかった。年限を切ることで、核兵器保有国の逃げ場を奪える。

 不拡散に配慮した条文の書き方にもなっている。特に1条2項は「核兵器国以外も不拡散に配慮せよ」という書き方だ。核兵器国のみにターゲットを絞っているわけではないという、保有国への配慮を感じる。おそらく核兵器国を含め、多くの賛同が得やすくなるだろう。

 もちろん課題は多い。例えば期限を設けたことは一方で、同意しづらい理由にもなる。日本政府からの議定書提案も難しくするかもしれない。もし日本が議定書を再検討会議で提案するとなると、20年以降「核の傘」に入らないと宣言することになる。それを今できるかというと、難しいだろう。

 議定書の採択に障害となりそうなのは1条1項2号だ。これは軍事活動に組み入れる活動全般をやめろという内容で、核兵器保有国にとっては、核抑止力を放棄するというかなり高いハードルだ。

 さらに考慮すべきは、たとえ再検討会議で決議されたとしてもNPTの締約国でないインド・パキスタンに効果がないということ。これらの国が核を持っているのに、米国やフランスなどが核をあきらめるとは考えにくい。

 国連総会決議は、同意しない国には拘束力を持たないので直接的な効果はない。しかし、それをステップとする戦略は世論を高める環境づくりになり、核保有国が同意する保障はないが、再検討会議に影響をあたえるだろう。

 都市の世論を通じて、国家を包囲するという戦略は悪くない。対人地雷やクラスター爆弾の禁止条約も市民運動を通じて成功した。対人地雷などの場合、NGOが政府へのロビー活動や、市民への啓蒙(けいもう)活動も担ってきた。重要なのは、議定書を通じて平和市長会議がどの程度活動できるかだ。市長会議も世論への働きかけだけでなく、各国政府への直接のロビー活動に力を入れる必要がある。

(2008年6月16日朝刊掲載)

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