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社説・コラム

コラム 視点 「ヒロシマ・ナガサキの体験継承」

■センター長 田城 明

 広島・長崎の被爆体験の風化が語られて久しい。原爆被災から四半世紀余を経た1973年、広島の被爆教師らは既に「ヒロシマ・ナガサキが忘れ去られつつある」との危機感から、日本各地の教職員らに呼びかけ、今に続く初の「全国平和教育シンポジウム」を開催した。

 当時はもちろん、多くの被爆教職員が教育現場にいた。旧文部省の指導で、国語や社会の教科書から原爆にまつわる記述が減っていく中、被爆教師たちは時には自らの手や顔に残るケロイドを示しながら、子どもたちに原爆の恐ろしさと平和の尊さ、そして「ノーモア・ヒロシマ」の願いを伝えていった。

 「被爆体験の風化」と一口で言っても、当時と被爆から63年が過ぎた今とでは、状況は大きく違う。被爆教職員は学校現場を去った。被爆地ならともかく、被爆地から離れた全国の多くの若い教師たちは、ヒロシマについて学校で教えられたとか、核や平和問題について自ら学んだという体験でもなければ、人類史におけるヒロシマ・ナガサキの持つ意味合いについて深く考えてみることもないだろう。家庭や地域社会でも、身内や近所に被爆者がいなければ、体験を聞く機会もほとんどないのが現実だ。

 「次世代に被爆体験の継承を」というとき、伝えるべき子どもたちより先に、大人である教師や親たちがその意義を知らなければ始まらない。学校全体で平和教育に取り組んだり、修学旅行などで県外から被爆地にまで足を延ばして被爆者から直接証言を聞いたり、原爆資料館を見学したりする学校は、全国的にみれば決して多くはない。

 被爆者の平均年齢は74歳を超えた。証言活動をしていた知己の被爆者が、一人また一人と亡くなっていく。核戦争の惨禍を生き延びた被爆者の言葉は重い。だが、老いゆく彼らから直接証言を聞ける年月は、それほど残ってはいない。核戦争の脅威や戦争を地上からなくすためにも、平和教育をサポートする教育行政が今ほど求められるときはない。

(2008年7月7日朝刊掲載)

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