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社説・コラム

核廃絶への視点 中国新聞の核兵器アンケートの声に答えて <1>

 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターが行った核兵器アンケートを基に、識者5人にインタビューした。アンケートには国内外の市民や非政府組織(NGO)から、核兵器が拡散する現状への危機感とともに、廃絶に向けた明確な道筋を求める意見が多数寄せられた。被爆地広島の役割は何か、日本政府が打ち出すべき施策とは-。5つの課題について、直言を聞いた。

アンケートの声 「核の傘に依存した廃絶提言に、説得力はあるのか」

作家 辺見庸さん(63)
「原爆は指弾すべき米の犯罪 」「広島は、もっと怒っていい」


■聞き手 北村浩司

 米国の核の傘に守られながら、日本が核兵器廃絶を訴えても、まったく説得力を持たない。私に言わせれば日本は準核保有国である。世界の平和運動のリーダーであるはずはなく、外から見れば、こっけいですらある。

 私は、原爆投下が明確な戦争犯罪だったかどうか、戦後、確定させないまま事実上棚上げしてきたことが根本的な問題だと考えている。あれは大量殺りくだったと、米国に突きつけるべきなのにあいまいにしてきた。

 それはヒロシマの運動にも感じる。米国は、原爆投下の正当性を主張し続け、微動だにしていない。日本の市民運動は米国への幻想が強すぎる。反核の足もとは壊れているのではないか。

◆1996年、原爆ドームは世界遺産に指定された。しかし、米国に配慮して調査報告書から「世界で初めて使用された核兵器」との文字が削られた。また、中国も日本の戦争への反省が足りないとして棄権に回った。

 これほど骨抜きにされても世界遺産にすることがいいことだったのかどうか。負の遺産を刻むという意図はいいが、一番大事な事実の削除を受け入れては意味がなくなる。

 中国に対しては、外交の努力として日本の不戦の決意を示し、理解を求める、ということもやっていない。やはり対米従属に終始してしまった。アジアへの侵略戦争の責任と原爆被害は別の問題であり、もちろん、本来、相殺されるような性質のものではない。そのことはきちんと伝えていく必要がある。

◆広島市内を走る路面電車が昨年、車内に原爆ドームを「広島が誇る世界遺産」と紹介するポスターを掲げ、被爆者らの抗議で撤去した。

 こうしたことが日本の雰囲気を象徴している。米国の核の傘に依存しながら、観光地として原爆ドームを紹介する。風化どころか反原爆の立場がもともとあったのだろうか、とさえ思う。

 多くの広島市民はわかっているのだろうけど、深刻に考えず、何となく観光的にしか考えられない人がいることがはしなくも出てしまった。

◆2006年10月、当時の中川昭一・自民党政調会長、麻生太郎外相が相次いで日本の核保有論議の必要性を認める発言をした。久間章生前防衛相は昨年6月、講演で原爆投下を「しょうがない」と発言した。

 かつてと違って核の傘が軍事的に有効かどうか、疑問が出てきている。米国では核の傘を閉じるべきだ、という議論もある。こうした状況には自民党の右派の方が敏感。日本が独自に核兵器を持つことを議論してもいいのではないかという声は、ますます強まってくる恐れがある。

 その中で古い議論をしていていいのか。情勢の変化に市民運動もジャーナリズムもついていっていない。久間発言に対しての怒りも緩やかだった。私たちは米国の戦争犯罪をはっきり指弾し、その立場から平和運動を再構築するしかない。広島の人たちはもっと怒っていい。

辺見庸(へんみ・よう)
 1944年、宮城県生まれ。共同通信記者として79年、中国報道で新聞協会賞を受賞。91年、小説「自動起床装置」で芥川賞を受賞。96年、共同通信社を退社してフリーに。

(2008年7月26日朝刊掲載)

「核兵器に関するアンケート」 回答の全容はこちらから

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