×

社説・コラム

社説 ヒロシマ63年 核軍縮への道開く好機

 63年前の8月6日朝、米軍機B-29が投下した原子爆弾は、いつもと変わらぬ営みが始まっていた広島の頭上でさく裂した。あれから優に二世代が育つほどの時が流れた。

 史上初めて使われた無差別大量殺りく兵器は、人間にどのような被害をもたらしたのか。いまだに分からないことが多い。

 がんなど放射線による後障害が体をむしばみ、国に原爆症認定を迫る訴訟が各地で続く。心に刻まれた傷の深さゆえ、光、音、においなどの刺激が被爆者を「あの日」に連れ戻し、つらい記憶が胸をうずかせる。今も続く心身両面の被害の実態は未解明だ。原爆の使用は、いかに人道を外れた罪深き行為だったか。

 この春まで広島大教授だった植木研介さん(63)は子どものころ、8月6日が近づくと体が動かなくなった。原爆映画のポスターが怖くて遠回りし、小学校での上映会ではずっと足元を見ていた。生後10カ月で被爆。自宅の窓ガラスの破片にえぐられ、左目の視力を失う。母や近所の人の話から、おどろおどろしい被爆の情景が頭に植え付けられた。

 自分でコントロールできない恐怖は成人後も続いた。被爆50年の夏、意を決して原爆資料館に初めて入ったのが転機。大学で平和についての講義を始めた。心の傷に苦しんだ体験を語り、原爆文学の作品を朗読する。「被爆の悲しみ、苦しみが痛いほど分かる」。学生からそんな感想が寄せられる。

 「これだけは言い残しておきたい」。平均年齢が75歳を超えた被爆者たちが、記憶の封印を解いて語り始めている。地球上に2万発を超す核弾頭が存在し、深まる核拡散の危機。日本政府は核兵器廃絶を主張しながら米国の核の傘に守られる足元の矛盾。無力感に襲われそうになるが、かすかな光明も見える。「今からは地球環境の時代。核兵器を持ち続けることの愚かさを訴えていかねば」。植木さんの思いだ。

 潮目は、確かに変わろうとしている。東西冷戦の時代は終わり、地球規模の温暖化や食料危機が人類を脅かす環境の時代を迎えている。そして核戦争は人類滅亡を招く究極の環境破壊。国益を超えた「地球益」の発想に立てば、核兵器のない世界を求めるのは自然な流れだろう。

 かつての核抑止論者も変わり始めている。米国のキッシンジャー元国務長官ら4人の元高官が昨年と今年、核兵器廃絶提言を米紙に発表した。核によるテロや核拡散を防ぐには核兵器をなくすしかないとの主張が、反響を広げている。英国の元外相ら4人が「簡単ではないが、核兵器のない世界は可能だ」と賛同し、イタリアの元外相、国防相ら5人も支持を表明した。

 核兵器による抑止力が通じる時代ではなく、むしろ拡散による危険性が増している。そんな認識は、米大統領選にも反映しているようだ。民主党のオバマ氏、共和党のマケイン氏とも「核兵器のない世界」という理念を支持し、大幅な核削減に意欲を示す。他の核保有国や世界市民の動き次第で、停滞している核軍縮が一気に進む可能性もある。

 気がかりがある。日本国内の反応が鈍いことだ。中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターのウェブアンケートでは、「核兵器廃絶は可能」との答えは海外83%に対し国内53%。被爆国でありながら、現在の核状況を変えるのは無理と初めからあきらめている人も少なくない。

 戦後、核の傘に象徴される米国頼みの安全保障体制が続いてきた。その枠内にとどまることを絶対視してきた日本政府の責任は大きいと言わざるを得ない。今また、在日米軍再編を機にさらなる軍事協力に踏み込もうとしている。平和国家にふさわしい別の選択肢はないのだろうか。せっかく訪れようとしている核軍縮のチャンス。発想を転換しなければ、それを生かすことは難しい。

 今、北朝鮮の非核化が曲折を経ながらも進められている。軍縮問題の研究者や市民団体が提唱する北東アジア非核兵器地帯構想に注目したい。日本、韓国、北朝鮮の3カ国を非核兵器地帯とし、米国、中国、ロシアが3カ国に核攻撃しないと誓約する内容。非核三原則を名実ともに守り、米国の核の傘から離脱する現実的な手だてとも考えられるからだ。

 広島、長崎市が主導する平和市長会議は、2020年までに核兵器を廃絶するためのプロセスを「ヒロシマ・ナガサキ議定書」に盛り込み、各国政府による採択を目指す。都市の国際連帯を深めるとともに、都市・市民の力で日本政府の政策を変えさせていくことも重要だ。

 構想や運動を進めていく上で、被爆地からの発信は大きな役割を担う。人間的悲惨さの極みであり、今なお続く原爆被害の実態を国内外に伝えていく。それも、できる限り多くの人々の胸に響き、今日的な共感を呼び起こすような形で。根底に据えるのは、戦争と原爆の惨禍を踏まえてできた憲法9条の平和主義の精神だろう。「核兵器と人類は共存できない」という論理を、より強固でしなやかなものにしたい。

 植木さんが講義で朗読する峠三吉「原爆詩集」序。「ちちをかえせ ははをかえせ」で始まり「にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわをへいわをかえせ」で締めくくる。個々の悲しみや怒りを出発点に、崩れぬ平和を築く第一歩として、被爆者は63年前の体験を苦しくとも語ってほしい。周りの人は聞き出してほしい。より多くの人々が被爆の実態に接してほしい。そこから自分は何ができるか、一人一人が考える一日としたい。

(2008年8月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ