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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 確固とした非核政策を

 長崎はきのう、被爆63年の原爆の日を迎え、核兵器廃絶への誓いを新たにした。田上富久長崎市長は平和宣言で、核軍縮の努力を核保有国に迫り、日本政府には非核三原則の法制化を求めた。非核三原則について福田康夫首相は「堅持する」とあいさつしたが、法制化には触れずじまいだった。

 毎年のように繰り返されてきたすれ違いだ。突き詰めていくと、米国の「核の傘」に依存するわが国の安全保障政策に、三原則と矛盾する側面があるからだろう。核兵器廃絶を世界に訴える被爆国として、乗り越えていくべき課題である。

 核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」とする非核三原則は、1967年に当時の佐藤栄作首相が国会で公式表明。衆院決議も経て国是とされてきた。だが「持ち込ませず」は、沖縄返還に伴い有事の際の核兵器持ち込みを認めた日米両政府の密約が明るみに出るなど、空洞化が指摘されて久しい。こうした抜け道を絶つのが法制化の狙いだ。

 これに対し政府には、核の傘が有効に機能するためには法によって縛るべきではないという判断があるようだ。先日も日米間の興味深いやりとりが米公文書で判明した。佐藤元首相が74年のノーベル平和賞受賞演説で核兵器先制不使用を目指す核保有国会議を呼びかけたいと打診し、当時のキッシンジャー米国務長官に拒絶されたというのだ。核の傘に制約は避けたいという東西冷戦下の発想は、日本では今も続く。

 世界には変化の兆しも見える。核テロや核拡散が脅威となる中、公職を離れたキッシンジャー氏が核兵器廃絶宣言をして反響を呼んでいる。新大統領の下で米国の核政策が変わる可能性もある。

 日本政府は、イラク戦争や在日米軍再編などを機に米国との軍事協力を強めてきた。唯一の被爆国としては、別の選択肢がありはしないか。核の傘に代表される米国一辺倒の安全保障政策を見直し、確固とした非核政策へ踏み出すときだろう。軸足を置くのはアジアである。

 平和宣言で田上市長は日本政府に対し、北朝鮮へ核兵器完全廃棄を強く求めることと、「北東アジア非核兵器地帯」創設の検討も呼びかけた。まだ壁は厚いが、被爆地が力を合わせ、一国で非核兵器地帯宣言したモンゴルに続く動きをつくり出したい。

(2008年8月10日朝刊掲載)

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