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社説・コラム

NPT体制崩壊の危機 「米印原子力協定」発効の動き

■記者 金崎由美

 核兵器が世界に広がることを防ぐ目的でできた核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドに、米国が原子力発電用の設備やウランを輸出できるようにする「米印原子力協力協定」を発効させようという動きが速まっている。同条約に加盟していない国には原発の分野でも協力をしない、というNPTの原則に反することから、日本国内では原子力利用の推進派と反対派の双方が「NPT体制を崩壊させる」と批判を強めている。

他国波及を懸念

 協定が発効すると、実際に米国が輸出して、インドが原子力を利用するのを助けることができる。7月22日、インドのシン首相はこの協定をめぐって政権の信任投票を実施。議会の過半数が賛成したため、事態は大きく動いた。

 さらに、日本も一角を占める国際原子力機関(IAEA)の理事会も1日、インド国内での原子力の利用をIAEAがチェックできる保障措置(査察)協定案を全会一致で承認してしまった。

 しかし、まだハードルは残っている。日本も含む原子力供給国グループ(NSG)が米印の協定を認めないといけない。7月29日、原水禁国民会議(市川定夫議長)は外務省を訪れ、日本政府に反対するよう求めた。

 NPTは、加盟国のうち米国、ロシア、中国、フランス、英国を「核兵器国」、それ以外を「非核兵器国」に分類。核兵器国だけに現状での核兵器の保有を認めると同時に、核兵器を減らす義務を課す。

 一方で非核兵器国は、「包括的保障措置」と呼ばれる取り決めをIAEAと結び、原子力を利用する活動をIAEAが厳しく査察することを認めなければならない。平和利用に限る原発用の技術やウランが、核兵器の開発に使われないようにするためである。

 インドは1998年に核実験を強行。対抗してパキスタンも核実験した。もし、米印の協定が実行に移されると「インドは核兵器国としての権利を得る一方で、義務は負わないことになってしまう。インドを例外扱いすれば、同じくNPTに加盟してないパキスタンなども同じ特権を求めかねない」。原子力資料情報室(東京・新宿区)のフィリップ・ワイト氏は、協定がアジアの核軍拡競争につながることを強く懸念する。

 米印両国は、2005年7月の共同声明を機に原子力協力協定をまとめる作業を始めた。NPTに加盟していない国へ核関連の技術や物資の輸出を禁じる国内法を持つ米国は、インドを例外とする「米印原子力協力法(ハイド法)」を2006年12月に成立させた。そして昨年8月、協定の合意にこぎ着けた。

査察対象は限定

 米国のライス国務長官が「インドがIAEAの査察を受け入れることで、核不拡散体制の強化に合致する」と発言するなど、米国側は協定のメリットを強調する。しかしインドが受ける査察は、NPTに加盟する国が負う厳しい内容に比べると限定的だ。例えばインドの原子炉は建設中を含め22基だが、査察の対象となるのはインドが「民生用」と指定する14基だけ。核兵器の材料になるプルトニウムを取り出すことができる高速増殖炉や、再処理施設も対象にならない。

 また、米国がウランの供給を止めた場合、インドはIAEAの査察を拒めるし、他のウラン供給先を探すことも認められる。もし、インドがまた核実験をして米国が制裁を加えた場合でも、核兵器の開発を続けられることを意味する。シン首相は「協定は、将来のインドの核実験を妨げない」と表明している。

 東京大公共政策大学院客員教授でもある電力中央研究所の鈴木達治郎研究参事は「査察には意味がない、という意見が出かねず、IAEAの信頼性にかかわる」と指摘。協定の発効をきっかけに、NPTを無視して核兵器の開発に突き進む国が続出することを警戒する。

 インドへの協力が軍事用に使われる可能性は、米国内でも指摘されている。米連邦議会の調査局は今年5月にまとめた報告書で、「民生用の原子炉に輸入ウランを使えれば、インド産ウランのすべてを軍事用に回せる。また、原子炉の寿命を延ばしたり運転を効率化する技術を米国から得て、軍事用に活用することが可能」と指摘する。

 米国とインドが原子力協力へ突き進むのには理由がある。人口11億人を抱え、急増するエネルギー需要への対応や地球温暖化対策も、その1つだ。インドが石油や石炭に頼らず原発を使うようになれば温室効果ガスの削減にプラスになる、という主張である。

日本、拒める立場

 一方で、「米国の真の狙いは、世界戦略と直結している」という指摘もある。米印関係に詳しい尚美学園大の堀本武功教授は「中国への対抗として米印関係を強化すること。そして、世界の原子力市場でフランス、ロシアなどの先を行くことだ」と話す。

 外務省の軍備管理軍縮課は、対応について「米印協定を実施すればNPT体制に支障がないのか、真剣に検討する必要がある」と言葉を選ぶ。しかし、超党派の核軍縮・不拡散議員連盟の河野太郎事務局長(自民)は「日本は早期に反対を表明しておくべきだった」と手厳しい。これまでインドにNPTへの加盟を呼びかけてきた日本の判断が注目される。

 今回、日本は実際に発効を認めることも拒むこともできる立場にいる。特にNSGは45カ国の全会一致が原則。日本が反対すれば、協定を発効させることはできなくなる。被爆国として、政府は単なる対米追随ではなく、核兵器廃絶の道筋をきちんと描いた上での説得力のある判断を示すことが、世界に対する責務でもある。

米の外交圧力に屈せず 被爆国として反対を

 米印協定に日本はどう対応するべきか。外務省が所管する日本国際問題研究所の小山謹二・軍縮・不拡散促進センター客員研究員(72)に聞いた。

-協定の問題点は。
 インドの核兵器開発を助ける協定、と言っていい。原子力を平和利用に限るというIAEA憲章の理念や保障措置の原則、NSGの方針を根底から覆す内容だ。  温室効果ガスの削減効果を考えれば協定に「イエス」と言いたいところだ。しかし、米国の利益に合う国だけ例外扱いを許せば、国際条約の普遍性が損なわれてしまう。

-NSGの指針を変更するには、全会一致というハードルがあります。
 北欧諸国などは明らかに懸念を持っているものの油断はできない。米国のような大国はものすごい外交圧力をかけてくる。日本に対しても例外ではない。しかし、核兵器廃絶への道を閉ざしかねない協定に被爆国が反対しなければ、ほかにどの国が反対するというのか。

-原子力協力と、核軍縮・不拡散を両立できる方法はあるのですか。
 他国から原子力協力を受けたいのなら、核兵器開発をしないと約束するのが前提。包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名し、兵器用核分裂性物質(プルトニウムや濃縮ウラン)の生産停止を宣言することだ。

 インドが保有する核兵器への対応も重要だ。核弾頭を多国間あるいは米国の管理に委ねるのも一案だ。これらをあくまで最低条件として日本はNSGなどの場で強く要求するべきだ。

原子力供給国グループ
 1974年にインドが「平和目的」の原子炉を使って核実験したのを機に、米国の主導で設立。45カ国で、原子力活動に使える技術や機材の輸出管理を行っている。ウィーン国際機関日本政府代表部が連絡事務局を務める。

包括的核実験禁止条約(CTBT)
 核爆発を伴うすべての核実験を禁止する条約。発効には、核開発能力を持つとみられる44カ国の批准が必要だが、インド、北朝鮮、パキスタンが未署名で、米国、中国、イスラエル、イランなど6カ国が未批准。

(2008年8月3日朝刊掲載)

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