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社説・コラム

G8議長サミットへ 被爆者からの手紙 <4>

広島県被団協副理事長 池田精子さん(76)
後遺症と闘い平和祈る私たち 報復ではなく愛を

 原爆投下から、63年の月日が流れました。被爆者はこの間ずっと、恐ろしい、苦しい、悲しい悪夢を見続けてまいりました。いつ訪れるとも知れぬ、死の恐怖と闘っているからです。現在も、被爆の後遺症で亡くなる人が後を絶ちません。

 被爆当時、私は女学校1年生、13歳でした。動員学徒として、爆心地から1.5キロの地点で建物疎開の家屋の後かたづけをしていました。原爆の放射線を浴び、大やけどで生死の境をさまよいながら、かろうじて生きることを許されました。

 しかし、夢多い少女の顔は悪魔にかきむしられ、引きつり、ゆがんでいました。この63年間の精神的な苦痛は、どんな言葉を使っても表現できるものではありません。私たちが味わった苦しみは、他の誰にも経験させてはなりません。

 原爆投下は人類が犯した過ちであり、戦争の悲惨さを最も象徴しています。私たち被爆者は、人類の滅亡につながる核兵器が一日も早く地球上からなくなることを願い、半世紀を超えて核兵器廃絶と戦争反対を叫び続けてきました。

 そして21世紀こそは平和を実現する時代と思いきや、2001年9月11日、米中枢同時テロで約3000人が犠牲となりました。

 しかし、よく考えてみてください。63年前の広島も、武器を持たない一般市民が、幼い赤ちゃんやお年寄りも含めて、無差別に完膚なきまでに殺傷され尽くしました。その日のうちに亡くなった人は、少なくとも5、6万人といわれています。5カ月以内には、13万人から15万人ともいわれる人が尊い命を失いました。

 米国は、9・11テロに対し、報復の道を選びました。しかし私たちは報復ではなく、愛と祈りをもって平和の道を実現する道を選びました。

 核兵器の脅威はとどまるどころか、なお広がりつつあります。ヒロシマは生命の尊厳を学ぶところです。人類が自らの手で核兵器を根絶しなければ、核兵器が人類を根絶してしまうでしょう。原爆死を免れ生かされた者の責任として、生命のある限り、自分の利害や苦楽を乗り越えて核兵器廃絶と戦争反対を訴え続けていきます。

 G8議長サミットに参加されるみなさん。この被爆者の叫びを素直に受けとめてください。議長のみなさんの力を信じます。国民を代表する立法府のトップが動いてくださらない限り、何も変えることはできないのです。どうぞ、人間の良心を持って、私たちの愛と和解のメッセージを受け取ってください。

 美しい地球を守り、世界中の人たちが平和で安心して暮らせる日が一日も早く訪れることを、私たち被爆者は祈っています。その祈るような思いを、いつ襲いかかってくるかもしれない後遺症との闘いの糧にしているのでございます。

 みなさんの広島への旅が実り多いものとなりますよう、心からお祈り申し上げます。

池田精子(いけだ・せいこ)
 1932年生まれ。学徒動員先で被爆。郊外にある自宅で治療した後、15回の手術を繰り返す。被爆証言活動も積極的に行い、これまでに米国とイタリアをそれぞれ5回訪問。中国、タヒチ、インドにも出向いた。2007年、イタリア・フラスカーティ市から被爆証言活動で名誉市民賞を受賞。

(2008年8月29日朝刊掲載)

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