G8議長サミットへ 被爆者からの手紙 <5>
08年9月1日
元広島原爆資料館長 高橋昭博さん(77)
核兵器な絶対悪 廃絶されてこそ犠牲者は浮かばれる
核兵器な絶対悪 廃絶されてこそ犠牲者は浮かばれる
1945年の8月6日、私は中学2年生で14歳でした。爆心地から1.4キロのところにあった広島市立中学校の校庭で、級友たちと共に朝礼が始まるのを待っていました。
一度発令された警戒警報、空襲警報は解除され、私たちは安心していました。校庭には私のクラスの約60人を含め150人ばかりの生徒がいました。警報が解除されていたにもかかわらず、なぜか一機アメリカのB29が上空にいました。それが原爆を積んでいたとは、夢にも思いませんでした。
級長が「集まれ!整列!」と、号令をかけたその時でした。大音響とともにあたり一面真っ暗闇、目の前すら見えませんでした。しばらくして校庭一帯が明るくなって気がつきました。私は10メートルくらい吹き飛ばされ、地面にたたきつけられていました。150人の生徒もあちこちに吹き飛ばされていました。木造校舎はぺっしゃんこ。民家などもすべてつぶされていました。遠くの建物もなくなっていました。私は息をのみました。
当日、たくさんの男女中学生が動員学徒として、爆心地近くで建物取り壊し作業に従事していました。原爆はそうした子どもたち6300人を一挙に殺しました。
私は、原爆を投下したアメリカを心の底から憎みます。また、先の大戦で日本は、アジア諸国に対して侵略戦争を引き起こし、多大な被害を与えました。同時に朝鮮半島に対しては、36年間も植民地支配を行い、深い悲しみをもたらしました。ですから、米国も日本も過去の行為を深く反省し、互いに謝罪をしてこそ、初めて平和への発言と行動を実践できるのではないでしょうか。
核兵器は、絶対悪です。現在、地球上には2万6000発にのぼる核弾頭があり、そのうちアメリカとロシアが95%を保有しています。アメリカとロシアは、まず廃絶の意志を世界に示すべきです。核兵器が廃絶されてこそ、亡くなった被爆者が浮かばれるのです。
平和の実現は、言葉で言うほど甘くありません。むしろ、険しく遠い道です。平和は、一気に、一足飛びに実現できるものではありません。足元から、身近なところから、辛抱強く築いて行かなくてはなりません。家庭から、学校から、職場から、地域から、一歩一歩確実につくりあげていかなければなりません。向こうから、歩いてやってきません。じっと座って待っていたのでは、いつまでたっても実現できません。
私はこれからも、命のある限り被爆体験を語り続け、一日も早い平和の実現を目指していきます。G8議長サミットに参加される議長のみなさん、この私たちの思いをしっかりと受けとめてくださり、核兵器の廃絶に向けた実りある一歩を、この広島の地から踏み出してくださるよう、心からお願い申し上げます。
高橋昭博(たかはし・あきひろ)
1931年生まれ。51年から広島市職員。市長室広報課主幹などを経て、79年から4年間、広島原爆資料館長を務めた。現在、核兵器廃絶を目指すヒロシマの会運営委員、広島ユネスコ協会副会長などの役職を兼ねる。被爆者としての平和活動などが認められ、91年にNHK放送文化賞、2005年には広島市政功労表彰を受けた。
(2008年8月30日朝刊掲載)