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社説・コラム

G8議長サミット記念寄稿 広島県医師会長 碓井静照氏

医師としてヒロシマに誓う

 広島に原爆が投下されて63年が経過した。今日でも、被爆当時の惨禍を昨日のことのように鮮明に記憶している人や、原爆症で悩む人たちは多い。私自身8歳の時、爆心地から2.4キロで被爆した。50メートル離れたところに住んでいる友達を誘いに行くところだった。

 突然の閃光(せんこう)とともに目の前にあった煉瓦(れんが)の塀がなくなり、全身にガラスを浴びた。私の住む牛田町は爆心から2キロ以上北にあるが、爆心地側に面した川土手の家屋が火災を起こし、全戸が倒壊ないし半壊した。翌日、道路の両側に無数の死体が並べられていた。生き地獄だった。

 こうした被爆体験を語り、被爆を深く認識している人口層は非常に少なくなってきた。広島・長崎の被爆の惨劇は風化したのであろうか。私の経験からすると、被爆者に同情するよりは、むしろそうでない人が多く、被爆の悲惨さと恒久平和を世界に発信しようとする人は少なくなっている。

 2001年9月11日の米同時多発テロでは約3000人の命が失われ、世界を震撼(しんかん)させた。米国は報復戦争との名目で、アフガニスタンを攻撃し、アルカイダをせん滅しようとした。戦火はイラクに及び戦争はテロ化して今もなお続いている。

 古代エジプトのラメセス2世が予言したように、戦争は人類が住んでいる限り終わることはないのであろうか。それにしても広島の原爆の惨状と今なお続く放射線の影響の怖さは人々の心に残ってしかるべきである。その意味で今回の主要国(G8)下院議長サミット開催の意義は大きい。

 かつて広島で行われたシンポジウムの中で広島大大学院国際協力研究科の崔吉城(チェキルソン)教授は「ニューヨークのテロ事件は世界全体に大きな衝撃を与えたが、広島の原爆に関して言えば、日本は被害を受けた事実を踏まえながらも、同時にアジアへの侵略と植民地化に対する反省と責任について、常に思いを新たにしなければならない」と語った。

 日本軍国主義が侵略戦争を起こさなかったら米国による原爆の投下はなかったに違いない。広島平和記念資料館(原爆資料館)の展示を見るにつけ、日本人が被害のみを強調することはいかがなものか。これではアジアの人々が被爆感情を共有してくれないのは当然である。受けた被害と平和だけを主張するのはアジアに対する戦争責任や反省が足りないとアジアの人は怒っているのだ。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国・DPRK)の核保有、核関連施設の廃棄を検討する6カ国協議は紆余(うよ)曲折を経ながらも、世界の論調としては協議を評価する動きがある。核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同会長は、北朝鮮の核施設無能力化が確実視されていた今年7月下旬、米国務省のクリストファー・ヒル氏に、次のような手紙を出した。要約すると「DPRKが原子炉を無能力化し国際検証に応じるというニュースは核兵器の拡散が深刻に懸念される中で非常に歓迎すべきことです。北朝鮮が核兵器とそのインフラを完全に破壊すれば世界は確実により安全になるでしょう」。

 IPPNWは1985年ノーベル平和賞を受賞した。89年には3000人の医療関係者が広島に集まって核兵器廃絶、核戦争防止のキャンペーンを実施。95年までに核兵器の廃絶を目指した。しかし今なお約2万発の核が戦略的に配置されている。一説では、闇値で核兵器製作のノウハウが売られ、その値段は600万ドル、6億円少々だといわれる。偶発核戦争の危険も今なお存在する。核の管理者が麻薬中毒にかかったり、レーダー監視者が小鳥の大群を核攻撃と誤認したりすると核が発射されうるのである。

 被爆63年、被爆者の原爆症認定訴訟が次々と原告側勝訴になっている。私はかつて認定審査会の委員をしていて、認定審査が画一的であり、個々の申請に血の通った審査態度が見えないなど、会議の内容に不満を感じ、「哀(かな)しみの虹」という本を出版し広く周知に努めた。裁判所は私の見解とほぼ同じ判断の判決をし、多くの原告の被爆者が主張を認められた。今年4月の厚生労働省の認定基準は被爆者援護の精神が盛り込まれていてかなり評価できると思う。

 とはいえ被爆者が平均年齢75歳と高齢化しているのに原爆認定訴訟の問題は続いており、ブラジルなど在外被爆者の医療支援も十分機能していない。被爆者はどこにいても被爆者である。厚労省も国会も医療関係者も解決のためこれまで以上に努力しなくてはならない。広島市民球場の跡地に新しい広島放射線医学研究医療センター(仮称)として、国際的にも注目される拠点はできないものか。

 広島・長崎に住む人々の静かな祈りには、史上最も悲惨な兵器による大量殺戮(さつりく)を行った国に対する憎悪も、そのような結末となる戦いに導いた自国の政府に対する憎しみもない。しかし広島はそれだけで留(とど)まってはならない。平和は与えられるものではなく、自らの努力で勝ち取るものだから。 (IPPNW日本支部長)

(2008年9月8日朝刊掲載)

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