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中沢啓治さん漫画家引退 白内障悪化 「次は油絵で」

■記者 東海右佐衛門直柄

 被爆後の広島で力強く生きる少年を描いた漫画「はだしのゲン」の作者、中沢啓治さん(70)=埼玉県所沢市=が、漫画家としての筆をおくことになった。白内障の悪化で繊細な線が描けなくなったため。構想していた「ゲン第2部」は実現しなかったが、これからも油彩画で原爆の悲惨さを訴えていくという。

 「ゲンがどんな大人になるのか、待っていてくださったファンには申し訳ない」。14日、中沢さんは広島市中区の原爆ドーム前で、NPO法人「ANT―Hiroshima」の被爆証言DVDの収録に臨んだ。第2部が実現できなかったことをわびながら、漫画家引退を表明した。

 中沢さんは「はだしのゲン第2部東京編」に取りかかろうと考えていた。しかし、持病の糖尿病と右目の白内障が悪化。今年1月に目を手術したが、視力低下で「プロとしての作品はもう発表できない」と引退を決めた。

 中沢さんは現在の中区舟入本町生まれ。6歳の時、爆心地から1.2キロの神崎国民学校の裏門付近で登校途中に被爆。友達の母親に呼び止められたため、塀の陰で熱線の直撃は免れた。

 1961年に上京して2年後、24歳で念願の漫画家になった。被爆した母が1966年に亡くなり、火葬場で、もろく粉々になった遺骨に「ピカは母の骨までも奪うのか」と怒りが込み上げ、原爆をテーマに描こうと決意した。

 今も原爆へ強い怒りを持ち続ける中沢さんは「今後は大きなキャンバスに描く油彩画で原爆の恐ろしさを表現したい」と話している。

はだしのゲン
 1973年に週刊少年ジャンプで連載スタート。被爆の逆境をはねのけ前向きに生きるゲンの姿が人気を呼び、単行本の販売部数は計約1千万部の大ヒットとなった。掲載誌を変えながら1987年、連載が終了した。中沢さんは「はだしのゲン第2部東京編」を構想。ゲンがフランスへ絵画修業に行く筋書きで、2002年から執筆に掛かるはずだった。

(2009年9月15日朝刊掲載)

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