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社説・コラム

今こそ核兵器廃絶の時だ

■ヒロシマ平和メディアセンター事務局長 難波健治

 「核兵器廃絶は夢じゃない」「そのチャンスがやってきた」。この夏、広島で、こんな言葉が飛び交った。広島・長崎に原爆が投下されて63年。この間、核兵器は原爆から水爆へと移り、ビキニ事件を契機に原水爆禁止運動が始まった。運搬手段は爆撃機からミサイルへ、そして冷戦の崩壊と核兵器の小型化、テロリストによる使用の可能性…。さまざまな変遷があった。だが、「核兵器廃絶」という言葉がこれほど現実味を込めて語られたことがあっただろうか。「夢物語でない」とどうして言えるのか。なぜいま好機到来なのか。その根拠を探ってみた。

<米欧・核保有国> 核兵器廃絶に米大統領候補2人が言及

 そこには、核大国・米国の核兵器に対する姿勢の変化がある。非核兵器論が米国でも胎動し始めた。端的に示しているのが、40日余り後に投票日を迎える米大統領選である。

 「核兵器廃絶という目標を核兵器政策の中心にすえる」。7月、大統領選で民主党候補の座を射止めたオバマ上院議員は語った。8月の民主党大会では、大統領選での党の公約となる政策綱領にその言葉が明記された。

 共和党のマケイン候補も主張する。「4半世紀前にレーガン大統領は『地球上から核兵器がなくなる日がわれわれの夢だ』と宣言した。それは私の夢でもある」(5月の演説)

 核兵器政策が語られ公約にまで掲げられたのは、米大統領選で初めてのことだ。

 広島・長崎両市の平和宣言、原水禁世界大会や核兵器廃絶を求めるシンポジウム、新聞の社説などに登場したのは、昨年と今年の1月、米元国務長官のシュルツ氏やキッシンジャー氏ら4人が米紙に発表した提言だ。

 「核兵器のない世界」「非核の世界へ」と題した2つの論文がなぜ注目を集めるのか。かつて米政権中枢にいて核政策を推進してきた人たちが、ここにきて突然「核兵器廃絶」を言いだしたからだ。そして、この論文に呼応する動きが国内外で大きく広がっているからでもあろう。

 今年1月の2回目の論文には、提言への賛同者リストが載った。そこには1960年代のケネディ政権から2001年に始まるブッシュ政権までの歴代国務長官、国防長官、安全保障問題担当大統領補佐官経験者のうち14人が名を連ねた。生存するこれら閣僚経験者の4人に3人が、論文を支持したという。

 提言は同盟国にも波紋を広げた。2月にノルウェーのオスロで開かれた国際核軍縮会議には多くの国の政府関係者が出席。会議のまとめで開催国のストーレ外相は「すべての国の指導者は、核兵器のない世界のビジョンを実現することを自らの事業とし、同時に自国の優先課題とすべきだ」と述べた。

 同じ2月、北大西洋条約機構(NATO)各国の国防相が出席したミュンヘン安全保障政策会議でも新たな変化が起こった。ドイツのシュタインマイアー外相はこう発言した。

 「軍縮と軍備管理は明日の生存がかかった問題だ」「核保有国が真剣に核軍縮の道を追求するとした約束は今も有効なのか。みずからに問う必要がある」

 英国はすでに昨年6月、当時のベケット外相が「核兵器のない世界のビジョンと行動の必要はあまりに明白」と語り、1月にはブラウン首相が「核兵器のない世界を実現する国際キャンペーンの先頭に立つ」と誓った。

 これらは、開催まで2年を切った核拡散防止条約(NPT)再検討会議を明確に意識した発言でもある。

<市民・NGO> 非人道兵器禁止で実績 劣化ウラン弾を視野

 核兵器廃絶の好機到来とみるもう一つの根拠は、市民レベルの活動である。

 今年5月30日、アイルランドのダブリンであった軍縮交渉「オスロ・プロセス」国際会議で、クラスター爆弾禁止条約案が全会一致で採択された。「最新型」の一部だけを例外とする事実上全面禁止の内容である。

 昨年2月に始まったオスロ・プロセスは、15カ月で条約案の採択にこぎつけた。そこには「10年前」の再現を目指す非政府組織(NGO)の周到な戦略があった。

 条約づくりには、97年にカナダ・オタワで署名された対人地雷禁止条約を手がけたNGO関係者が再結集していた。クラスター爆弾を持つ国は少ない。彼らはオタワ・プロセスの経験から、非人道兵器の廃絶を目指す国際世論を背景にすれば大国を押さえ込めることを知っていた。

 この流れを受け、世界や広島の市民団体の間で「次は劣化ウラン弾だ」という声が上がっている。劣化ウラン弾の禁止条約ができたらどうするか。「いよいよ核兵器の番だ」というのが、世界の反核運動家たちの思いだ。

<アジア・日本> 非核地帯実現へ 高まる可能性

 現在を核兵器廃絶のチャンスと見る根拠はほかにもある。朝鮮半島と日本を含む北東アジアを非核兵器地帯にしようという構想だ。実現可能性はあるのだろうか。

 それを判断する鍵が、この7月に北朝鮮が加入し、調印国が25カ国となって東アジアのすべての国を網羅することになった東南アジア友好協力条約(TAC)にある。

 TACは、東南アジア諸国連合(ASEAN)が地域の平和共同体の基礎として位置づける条約だ。当初はASEAN加盟国だけの条約だったが、87年から域外の国も加入できるようになった。

 米国がイラク戦争を強行した03年から加盟国が急増。まず中国とインド、04年には日本、パキスタン、韓国、ロシア、その後も加入が続き、現在、加盟国の人口は合わせて約37億人、全世界の57%に達している。

 TACは日本の憲法九条の精神にも通じていて、戦争放棄や紛争の平和的解決を条文に明記している。

 加盟国の中国とベトナムは陸上の国境問題を対話で解決した。インドと中国も数十年にわたる紛争に終止符を打った。インドとパキスタンは、領土問題での深刻な対立による紛争を抱えながら、平和的な問題解決に向けた対話を続けている。

 現在、地球上には7つの非核兵器地帯がある。うち5つは南半球に集まっている。北東アジアに非核ゾーンをつくる意義は大きい。

 ここで問題になるのは、米国の「核の傘」の下にある日本のありようだ。憲法9条を持ち、非核三原則を掲げながらどのような「非核の国」をつくっていくのか。その点をあいまいにしたままでの非核兵器地帯はあり得ない。核兵器のない世界をつくる-それは、まさに被爆国に住む私たち一人一人に問われている問題である。

(2008年9月22日朝刊掲載)

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