×

ニュース

故松重美人さん撮影 被爆直後の御幸橋 複製プリント発見

■記者 編集委員・西本雅実

 広島原爆を代表する記録写真で、松重美人さん(2005年に92歳で死去)が1945年8月6日に撮った1枚目の構図を伝えるプリントが、広島市の原爆資料館で見つかった。今はネガの傷などで見えない、遺体とみられる全身やけどの男性がはっきりと写っている。

 資料館の学芸担当者が、寄贈や委託を受けた3000枚を超す原爆写真を整理するなか、男性の姿が写っている2枚を見つけた。うち1枚は「多数の人が苦しんでいる」との英文が写真の下部に焼き込まれていた。

 爆心地から南東2.2キロの御幸橋西詰めで撮られたこのカットは、中国新聞社が発刊していた「夕刊ひろしま」46年7月6日付に初掲載された構図と同じ。着衣がほとんど焼けている男性が、御幸橋の路上で両足を投げだして倒れている。

 英文説明が付くプリントは70年に資料館へ寄せられていた。同じ構図のもう一枚とともに寄贈者の入手経路などについての記録はなかった。

 元中国新聞カメラマンの松重さんは生前、「被爆後の混乱期に写真を知人と交換したら、出回ってしまい回収を求めた」と、聞き取りに当たった資料館職員らに話していた。今回のプリントは、複製されて広島訪問の記念などに市販されていた写真とみられる。

 松重さんは、現在の広島市南区西翠町の自宅で被爆しながらも約3時間後から撮影に努め、被爆当日の市民の惨状を5カットにわたって唯一記録した。

 米軍の占領が明けた52年に東京の出版社が刊行した初の原爆写真集にも、今回のと同じ構図が掲載されている。しかし、歳月によるネガの傷や修正から、国内外で展示・刊行されている現在の写真には、遺体とみられる男性の姿はほとんど残っていない。

年別アーカイブ