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社説・コラム

コラム 視点 「世界子どもサミット、来夏には広島で実現を」

■センター長 田城 明

 人類は有史以来、戦争を繰り返してきた。科学技術が発達し暮らしが便利になる一方で、戦争の道具である兵器の破壊力は増していった。1発の原子爆弾で街全体が廃虚と化し、無差別大量殺りくをもたらした広島・長崎の惨禍は、その象徴である。

 第2次世界大戦では、約5000万人が犠牲になった。原爆で命を奪われるのも、旧日本軍の銃剣で犠牲になったアジアの人々も、1人の命の尊さに違いはない。では、なぜ、広島・長崎が人類史の中で特別な意味を持つのか。2つの都市の原爆被災体験が、地球規模での文明の破壊と人類の破滅を暗示させるからである。

 ノーベル化学賞と平和賞を受賞した米国の著名な物理・科学者のライナス・ポーリング博士(1901-94年)は、死の1カ月前に私のインタビューに答えてこう言った。  「第二次世界大戦中、私は地球上から戦争はなくならないと信じていた。だが、原爆投下のニュースは、その考えを根底から変えてしまった。戦争はあってはならないし、してはならない時代に人類は入ってしまったのだ」

 その破壊を体験し、かろうじて生き延びた多くの被爆者も「核戦争が再び起きたなら、人類は破滅してしまう」と肌身で感じ取っていた。だからこそ、投下国への復讐心(ふくしゅうしん)や憎しみを乗り越え、核戦争はもとよりすべての戦争を否定する「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ」の精神を獲得していったのだ。

 だが、21世紀を迎えてなお人類はヒロシマ・ナガサキの教訓から学び得ていない。地球上ではまだ戦争や紛争が続き、核兵器が使用される可能性も、米ソ冷戦時以上に高まっている。加えて貧困や飢餓、食糧不足や人口増加、環境汚染や地球温暖化など、問題山積である。

 世界が抱えるこうした問題に目を向けながら、平和新聞「ひろしま国」をつくり続ける10代の本紙ジュニアライターたち。彼らが被爆地広島での「世界子どもサミット」開催を着想し、9月2日に広島であったG8下院議長会議(議長サミット)の参加者にその実現を働きかけたのは、「世界の子どもたちと一緒に自分たちの未来について考え、平和な社会を築いていきたい」との願いからであった。

 今世紀をほぼ丸ごと生きていく10代の少年少女たち。彼らにこそ大人以上に、世界の将来の在り方を決める決定権があってもおかしくはない。そんなジュニアライターたちの要望に応えて、議長サミットでは参加者全員が子どもサミットを開くことに賛同の意を表した。

 多くの人々の知恵と協力を得ながら、来夏ごろにはぜひとも世界子どもサミットを被爆地で開き、その成果を世界中に発信したいものだ。広島市はもとより、議長サミットでリーダーシップを発揮された河野洋平衆院議長にも、引き続き実現に向けて協力を仰ぎたいものである。

 人類が共に生きる道を探るのに、広島は最もふさわしい地である。子どもサミット、さらには核保有国の首脳サミットなどが広島で開かれるようになれば、戦争を繰り返してきた人類の歴史にピリオドを打つことも夢ではない。

(2008年10月6日朝刊掲載)

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