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社説・コラム

コラム 視点 「核保有国に原爆資料館の分館建設を」

■センター長 田城 明

「核保有国の首都や主要都市に、原爆資料館の分館をつくったらどうだろう」

 今月10日、広島市の原爆資料館であった国際平和博物館会議の公開シンポジウムで、こんな提案がなされた。「核兵器廃絶のために何ができるか」をテーマにした討議の中で、パネリストの一人、英国ブラッドフォード大学のピーター・ヴァン・デン・デュンゲン博士(平和学)が述べたものだ。

 広島や長崎の原爆被害の実態は、まだまだ世界に知られていない。核保有国の多くの市民が、悲惨な核戦争の現実を身近に感じれば、核兵器に依存することの恐怖や愚かさを認識して、核廃絶への機運が高まるに違いない。人類を滅亡に導く核兵器に身の安全を委ねるのは、野蛮なことだと気づくだろう、というわけだ。

 ワシントン、モスクワ、ロンドン、パリ、北京、ニューデリー、イスラマバード…。たとえ規模は小さくても、被爆現物資料などを展示した本格的な「ヒロシマ・ナガサキ・ミュージアム」が恒常的に設置されたなら、確かに大きな影響を及ぼすことだろう。被爆者の体験もそこで聞くことができれば、一層効果的だ。

 ナチス・ドイツによって、約600万人のユダヤ人が大量虐殺された事実を伝える「ホロコースト・ミュージアム」は、収容所があったポーランドのアウシュビッツだけでなく、米国や日本を含め世界各地に存在する。反ユダヤ主義の実情と、ふつうの人間が戦争の歯車の中で狂気と化して他者をあやめてしまう現実を、私たちに教えてくれる。

 各地のホロコースト・ミュージアムは、この事実を記憶し続け、同じ過ちを繰り返してはならないと願う各国のユダヤ系市民や、非ユダヤ系市民らの努力によって設立された。広島・長崎の原爆資料館の分館建設も、やはり核保有国の市民の強力なサポートがなければ実現困難である。

 米国立スミソニアン博物館が、被爆50周年の1995年、原爆投下機の「エノラ・ゲイ」とともに、きのこ雲の下で起きた事実を伝えようと、広島・長崎の被爆現物資料などの企画展を計画した。

 「半世紀がすぎ、アメリカ人も自らの歴史を冷静に見つめることができるだろう」。それが博物館の館長や学芸員の判断だった。原爆資料館の関係者らとも話し合い、「史実を客観的に見てもらう」ことに最大限の注意を払った。しかし、企画展を知った第2次世界大戦の米在郷軍人協会などの強い反対に遭って、広島・長崎関連の展示は実現しなかった。

 ところが、市民レベルでは、広島市主催の原爆展が現在、米各地で開かれているように、広い支持を得ている。被爆者とともに原爆展の各会場を訪れ、地元の人々と交流を続ける広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長によると、原爆被災写真や被爆者の体験談に触れ、反核運動を始めた学生や市民もいるという。

 国際平和博物館会議は、過去に起きたり、現在も続く悲惨な戦争や内戦の事実を記憶にとどめ、同じ過ちを繰り返さないために組織された各国の博物館関係者らの集まりだ。今回初めて原爆資料館を見学して、被害の実態を世界に伝えることの重要性と緊急性を感じ取った参加者も多い。

 博物館活動を通じて平和のために働く各国の専門家たちや反核運動に取り組む非政府組織(NGO)、市民のネットワークを通じて、例えば米国や英国で原爆資料館の分館建設運動が盛り上がれば、広島・長崎両市としても動きやすくなるだろう。日本政府も財政支援など、直接、間接に協力できるはずである。地道な取り組みを重ねていけば、核保有国での「ヒロシマ・ナガサキ・ミュージアム」の分館建設の可能性も生まれてくるに違いない。

(2008年10月20日朝刊掲載)  

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