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社説・コラム

海外の被爆者に援護の道開けるのか 改正援護法12月施行

■編集委員 西本雅実

 被爆者健康手帳の交付申請などが日本の在外公館でできる改正被爆者援護法が、12月17日に施行される。被爆への理解が薄い各国で孤立しがちな在外被爆者は、これによって日本の被爆者と同じ援護への道が開けるのか。約2600人と海外最多の被爆者がいる韓国を今月訪ね、現状と見通しを探った。日本の植民地支配や戦後処理と密接に絡む被爆者の訴えにも応える援護の在り方をあらためて考えたい。

在韓申請に残る壁 迅速化へ国は対策を

 「ソウルや釜山で手続きができれば、高齢の被爆者は助かるし、申請は増えるだろう」。大韓赤十字社特殊福祉事業本部(10月1日に事業所から組織替え)を訪ねると、申東寅(シントンイン)本部長(56)は開口一番そう話した。

 同本部は、日本政府が1991年と93年に「人道的な見地から」と拠出した総額40億円を元に医療支援に当たる。拠出金は「韓国の広島」と呼ばれる慶尚南道陜川郡の原爆被害者福祉会館(定員80人)の建設・運営費にも充てられ枯渇したが、韓国政府がこの6月までに累計で同額の補助金を支出したこともあり、綱渡りのような支援事業を続けている。

 韓赤に登録された被爆者は、22カ所の指定病院では窓口で自己負担なしに治療を受けられる。生活援護の性格も持つ月額10万ウォン(約8000円)の「診療補助費」が支給される。

189人認められず

 登録者は9月末現在、2663人で平均年齢は72.6歳。全体の95%が広島被爆という。渡日して手帳を持つのは2459人、うち2441人が健康管理手当(月額3万3800円)などを受給する。病気などのため渡日ができず被爆確認証の所持にとどまるのが15人。つまり、189人が日本から被爆者と今も認められていない。

 「異国の日本で遭わされた被爆の証明を60有余年たって求めるのは非情。今更どうやって証人を捜し出せというのか」。韓国原爆被害者協会の創設に参画した名誉会長の郭貴勲(カクキフン)さん(84)は日本語で憤りを表した。朝鮮半島からの徴兵1期生として送られた広島城近くで被爆した。日本政府などを相手取り、98年に提訴して在外被爆者の健康管理手当受給を勝ち取った。しかし、政府の陳述からは歴史認識のなさを痛感させられたとも言う。

 植民地支配による移住や徴用・徴兵で日本に渡り、その末に被爆。解放後の祖国では民族分断による朝鮮戦争の戦禍を被る。日本の被爆者援護からは切り捨てられた。在韓被爆者は二重、三重の苦痛を強いられた。

 郭さんは陸軍の軍隊手帳を保持し、上半身にケロイドが残る。教員をしながら同胞救援のために早くから日韓を往復した。その郭さんにしてからが、手帳を取得できたのは被爆から34年後。旧厚生省は観光ビザの入国での交付申請をなかなか認めなかった。

 手帳を取得しても、「孫振斗(ソンジンドゥ)手帳裁判」の一審で敗訴した直後の74年に出された公衆衛生局長名の「402号通達」により、日本を離れた途端に手当は打ち切られた。被爆者健康手帳が「ただの紙切れ」に追いやられた。

 「日本政府は裁判に負けると、小出しで援護に応じる。『被爆者はどこにいても被爆者』と私の訴えを司法も認めた。なぜ歴史に向き合い、過去の清算を図ろうとしないのか」。生活苦で渡航費もなかった多くの被爆者が手帳を取るのをあきらめ、死んだという。80年代後半から陜川などを訪ねる記者自身、広島弁で取材に応じながら手帳を持たず、持っていても手当を受けられず逝った顔が幾人も浮かぶ。

 手帳の未所持者は、2002年に「在外被爆者支援事業」が始まっても渡日が体力的に無理なほか、広島市へ事前審査のため書類を送ったものの、高齢のため記憶があやふやだったり、幼いころの被爆で土地勘がはっきりしなかったりする人が占める。

書類の返却最多

 広島市原爆被害対策部が事前審査書類を返却などしたのは、2002年から9月末までに延べ412件。うち韓国からが9割近い366件に上る。申請書類は日本語での記述(翻訳)が求められる。日本で教育を受けるなどした日系米国人や戦後移住者でもあるブラジルの被爆者より、言葉の面でも負担は重い。

 韓赤は、改正援護法の施行で可能となる原爆症認定の申請の行方も懸念していた。厚生労働省は、認定申請をめぐり全国各地で起こされた訴訟で敗訴を続け、4月に認定基準を緩和。これまでの年間約12倍の2200人の新規認定を見込み、来年度予算を概算要求している。

 在韓被爆者で現在、原爆症と認定され医療特別手当(月額13万7430円)を受けているのは11人にすぎない。認定には、がんなどの疾病が「原爆の放射線に起因するか否か」を診断する医師の意見書が重きをなす。受給者は病を押して渡日し、日本の医療機関で診察を受けた。

 被爆者の存在がほとんど知られていない韓国で、意見書を書ける専門的な医師を見つけるのは困難が予想される。

「要請がほしい」

 申本部長は「書いた医師はいなくても高度な医療機関はある。韓赤は全国に5つの病院があり、困窮している被爆者の認定申請にも協力する」と述べたうえで、前提を挙げた。「日本からの要請が正式にあれば、韓赤が選定した病院で診断するなどの仕組みもつくりやすい」。しかし、厚労省からの情報や連絡は一切ないという。

 北米・南米の被爆者健診事業を続ける広島県医師会の碓井静照会長は9月、国交がないため援護から取り残されている382人の被爆者が住む北朝鮮を訪れ、健診の実現を探った。なぜなら「歴史を顧みれば、北朝鮮や韓国にいる被爆者には被爆者援護の精神をより貫くべきだろう」と考えるからだ。

 「孫振斗手帳裁判」で最高裁は78年、原爆医療法は「原爆の被害という特殊な戦争被害について国が自らの責任によりその救済を図ることを目的にしたものだ」と、日本の救済責任を明確に指摘した。ところがそれ以降も、郭さんが身を持って体験したように「小出し」の援護にとどまる。

 改正被爆者援護法により、手帳交付の申請に際して現地で面談する「実地調査」も行われる。申請者に被爆の立証を押しつけるのではなく本人の陳述を尊重し、「日本の責任」において被爆事実を探すべきだろう。

 また、原爆症認定の申請が速やかにできるよう、韓赤をはじめ各国の医療機関への情報周知や連携が求められる。「外務省との協議も要る」(厚労省)とする北朝鮮の被爆者へも援護が及ぶような方策を練っていい。

 さらに、14万5000円と年間の限度額を設ける「在外被爆者保健医療助成事業」について、国内の被爆者と同じ給付となるよう、改正法の付則に定められている「必要な措置」をとるべきだ。

 海外にいる手帳所持者は35カ国、4330人(死没の連絡がない人を含む)。在外申請により新たに名乗り出てくる人も、「被爆者はどこにいても被爆者」と実感できる援護が求められている。

(2008年10月26日朝刊掲載)

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