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社説・コラム

「核なき世界へ」 英国でも冷戦の証人が共同論文

■記者 東海右佐衛門直柄

 核保有国の一角を占める英国で、核兵器廃絶の肯定論が強まってきた。ブラウン首相は今年1月、「核兵器のない世界へ向け、国際キャンペーンの先頭に立つ」と宣言。デズ・ブラウン国防相も2月のジュネーブ軍縮会議で演説し、「英国を核軍縮の実験所としたい」とアピールした。英国の政策転換は、米ロなど他国の核政策にも影響する可能性がある。強まる廃絶論の背景と実現への課題を探った。

 「(未来を)心配しよう、そして核兵器を捨て去ることを学ぼう」-。英タイムズ紙に6月、核兵器廃絶を訴える共同論文がほぼ1ページにわたり掲載された。

 論文は「冷戦中、核兵器は世界を安定させるとされた。しかし、現実は危険ながけの上にある」と核テロへの懸念を示す。「核兵器のない世界が最終目標であるべきだ」

 執筆したのは、サー・マルコム・リフキンド下院議員(62)ら3人の元英外相と、北大西洋条約機構(NATO)元事務総長のジョージ・ロバートソン卿。4人とも核抑止論信仰のもとで核弾頭数が激増した時代の証人である。

 その彼らがなぜ、今になって主張を転じたのか。執筆者の1人、リフキンド元外相が、国会議事堂隣にある議員会館で取材に応じてくれた。

 「英国は変わりつつある。核戦争におびえた冷戦時代に戻ってはならないと気付いたのです」

 「イラク戦争など『テロとの戦い』で米国追随との批判が強まり、『反ネオコン』の潮流が欧州に広まっている」-。

 ロンドンにある国際戦略研究所のマーク・フィッツパトリック主任研究員(54)は「政権与党である労働党の支持層が従来に増して党に平和的思想を求めている。ブラウン首相の発言や共同論文はその表れ」とみる。

 ロンドン大キングスカレッジのサー・ローレンス・フリードマン教授・副校長(59)=安全保障論=も「英国は安全保障上、最も核兵器を廃絶しやすい国。財政面からも核政策転換を促すムードが政権内にある」と分析する。

 確かに英政府が今春発行した報告書「国家安全保障戦略」は、移民や環境問題などを中心に取り上げ、他国からの差し迫った脅威についての記述はほとんどない。

 ただそれでも、核兵器の放棄へ一気に動く気配はまだない。むしろ下院は昨年、潜水艦発射核ミサイルシステムの更新計画を承認した。これにより、約200億ポンドを投じて向こう40年間、核ミサイル体制を維持することが可能になった。

 フィッツパトリック主任研究員は「核兵器廃絶には国際間の協調的な軍縮が必要。20年程度はかかる」とし、核物質の監視体制や核拡散防止条約(NPT)非加盟国への規制の強化、紛争懸念地域の信頼熟成など、乗り越えなければならない具体的な課題も指摘する。

 議員会館でリフキンド元外相が続ける。「英国はかつて、核兵器のボトルの栓が抜かれたら元に戻すのは不可能だと、廃絶に反対した。しかし今、現状を変えないほうが愚かだと考えを変えたのだ。できないことはない。世界が団結すれば、核兵器は廃絶できる」。被爆国日本がそのリーダー役を果たすことへの期待も口にした。


デビッド・オーウェン元外相 共同歩調で削減は可能

 英タイムズ紙に核兵器廃絶を訴える論文を発表した共同執筆者の1人、デビッド・オーウェン元外相(70)に聞いた。

 -どうして核兵器廃絶を訴えたのですか。
 冷戦中、核兵器は世界を安定化させると考えられてきた。しかし現在、核技術は拡散し、かえって世界は不安定化している。北朝鮮問題が一例。核兵器がテロリストの手に渡る懸念も高まっている。

 キッシンジャー米元国務長官らによる昨年来の提言にも影響を受けた。核保有国の政治家として、将来の核政策の考えを示す責任を感じた。

 -英政府は核政策を転換できますか。
 今は変化の前の段階だろう。将来、核弾頭は減るが、搭載する潜水艦は今後40年近く残る。政府は基本的に核抑止力を信じている。

 -首相の発言と政府の行動は矛盾していませんか。
 核兵器を嫌悪する人と擁護する人という2つのカテゴリーに区分けするのは、誤った単純化だ。今は核兵器が必要だと思いながら危険性を認識することは二重基準でない。

 多くの人が奴隷制度を廃止すべきだと思いながら実際の解放まで多くの年月がかかったように、核兵器も同様のプロセスをとるのではないか。「核兵器ゼロ」を目標に、まず核のない世界が許される状況をつくりだそうと英国は動き始めたところだ。

 -いつ廃絶できますか。
 英国だけ先に廃絶するのは難しい。第1段階は他の保有国と共同歩調で核弾頭数を削減する。第2段階としては核超大国の米国とロシアの大幅な核兵器削減が必要だ。

 私見だが、フランスとは共同戦略をとることが可能ではないか。この2国は、米ロの核兵器削減が進めば自主的に廃棄に踏み切る可能性がある。

 世界はまだ第1段階にも至っていない。プロセスに国際間の信頼醸成が欠かせない。今後20年では無理かもしれないが、核兵器廃絶は可能だ。


「基地の街」意識に変化 広がるヒロシマの精神

 スコットランド最大の都市グラスゴーから西に約40キロ。人口1万4000人の町ヘレンスバーグで列車を降り、車で小高い丘に登るとファスレーン核基地が見えてきた。

 クライド川が注ぐ細長いゲールロック湾に面し、上空は厚い雲で覆われている。海や空からの攻撃を阻む地形や気象の条件が、英国唯一の核ミサイル潜水艦基地の立地選定の決め手になったとされる。

 門前に立った。高さ3メートルのフェンス沿いに監視カメラがずらりと並ぶ。銃を構えた兵士が、こちらをにらむ。「英国一厳しい」という監視態勢を実感した。

 英国は核ミサイル潜水艦4隻を保有する。その各艦に1通ずつ、重要なレター(手紙)が厳重に保管されているという。

 歴代の首相が就任後に記す「最終局面での命令書」だ。国土が敵から壊滅的な打撃を受け、潜水艦と海軍本部との連絡が絶たれたとき、手紙の封は切られる。

 1、米国に従え
 2、オーストラリアへ行け
 3、敵国へ核ミサイルを撃て
 4、最後は自分の判断力に従え-

 英紙サンデータイムズが、東西冷戦中の手紙の内容をこう伝えたこともある。

 10年前に退役し、いまも町で暮らすエリック・トンプソンさん(64)に会った。技術者として25年間、潜水艦に搭乗した。いつ手紙が開かれるのかとの不安を常に感じながら、深海で連続2カ月の勤務。「陸に上がると故郷も家族も灰になっているかもしれない」。悪夢を何度も見たという。

 だが、冷戦が終わり考えも変わった。「英国に敵はいない。核兵器は必要なのか、海軍にいた者としてジレンマを感じる」と打ち明ける。

 地元の意識も急速に変わりつつある。「基地は地元経済の要」が常識とされた町で昨年、市民が基地を取り囲む「封鎖運動」が起きたのだ。

 地元の反核団体メンバー、ジェーン・タレントさん(50)の案内で基地対岸の高台に向かった。「核報復を命じる手紙など必要ない時代が来てほしい」「核兵器で威嚇しあう世界は平和を導かない。ヒロシマの精神は英国でも広がっています」。タレントさんは、そう力を込め、基地を見下ろした。

(2008年11月3日朝刊掲載)

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