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社説・コラム

コラム 天風録 「きのこ会」初代会長亡くなる

■論説委員 宮崎 智三

 好きな映画雑誌をめくり終えると、娘はだだをこね始めた。父の畠中国三さんには、その意味が分かったのだろう。「よし、新しいのが出たら買うてくるけえ」。娘はやがて落ち着いて長いすに座り込んだ▲胎内被爆した原爆小頭症の次女百合子さんである。食事や着替えも一人ではできない、この子を残して死ねない。そう願い続けた妻の敬恵さんが亡くなって30年、国三さんが先月、92歳で逝った。夫婦とも最期まで、百合子さんのことが気掛かりだったようだ▲15年ほど前、父娘の住む岩国市内の小さな家をアジア各地の記者と何度か訪れた。国三さんは理髪店を営む傍ら原爆の恐ろしさをずっと訴えていた。「おなかの中にいた子の未来まで、なぜ奪うのか」。物言えぬ娘の代弁をするつもりだったのだろう▲小頭症の子どもを持つほかの家族と一緒に「きのこ会」をつくって、初代の会長を務めた。仲間らの助けもあって、国による認定の道が開けたとき、被爆から20年以上が過ぎていた▲妹らと暮らしている百合子さんは既に62歳。全国で22人が認定されている小頭症の人の中には、ひとりぼっちになるケースも増えているようだ。何とか支える方法はないものか。国三さんたちの思いを受け継いでいくためにも。

原爆小頭症
 妊娠初期の胎内で高線量の原爆放射線を浴びると、知的障害を伴う重度の小頭症として生まれることがある。近距離被爆に症例がみられ、身体器官に障害を負う場合もある。厚生省(当時)が1967年、「近距離早期胎内被爆症候群」の病名で、患者の症状が被爆に起因していることを認めた。

きのこ会
 ジャーナリストや作家の山代巴さん(故人)たちでつくる「広島研究の会」が1965年、原爆小頭症患者や親たちに呼び掛けて発足した。原爆症としての認定▽親子の生活の終身保障▽核兵器の完全廃棄-を目標に6家族でスタートし、最大時には22家族に広がった。現在は18家族。

(2008年12月18日朝刊掲載)

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