田母神前空幕長の論文問題 政府は明快な見解示せ
08年12月27日
■ヒロシマ平和メディアセンター事務局長 難波健治
航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄航空幕僚長(当時)が「我が国が侵略国家だったというのはまさに濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)」と主張する論文を民間の懸賞論文で発表し、先月更迭された。民間人となった田母神氏はその後もメディアなどで持論を繰り返し、公然と改憲を主張したり、日本の核武装まで主張している。
これに対し政府は「(論文は)政府見解と明らかに異なる意見」としていち早く幕僚長の職を解いたが、なぜか論文の内容に関して自らの歴史認識や見解をあらためて説明しようとしない。最高司令官である麻生太郎首相も「不適切」というだけである。
しかし、政権の座にいる人たちはこういう時こそ政府の考えを国民に示し、過去の戦争についての認識や日本核武装論についての見解を明らかにすべきだ。そうしないと、いつまでたっても国民的なコンセンサスが得られず、諸外国からも誤解を受けるばかりではないか。
改憲・核武装論に沈黙
田母神論文の題は「日本は侵略国家であったのか」。全国でホテルなどを展開するアパグループの第1回「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、最優秀賞に選ばれた。
論文で田母神氏は、日本が中国大陸や朝鮮半島に軍を駐留させたのは条約に基づくものであり、「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」と主張。「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた」「日本はルーズベルトの仕掛けた罠(わな)にはまり真珠湾攻撃を決行」「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」と述べている。自衛隊の現状についても「領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない」とし、この状態から解放されない限り「我が国を自らの力で守る体制が完成しない」との見方を示している。
更迭の理由は「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは航空幕僚長として不適切」(浜田靖一防衛相)というものだった。ここで言う「政府見解」とは、1995年8月に当時の村山富市首相が「戦後50年の終戦記念日にあたって」と題して発表したいわゆる「村山談話」を指す。
村山談話は過去の戦争について「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました」と「侵略」を明確に認め、「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明」した。その後も政府の基本的見解として踏襲され、麻生首相も「私の内閣でも引き継ぐ」と表明している。
しかし、政府の対応は「及び腰」だと言わざるを得ない。幕僚長の職は解いたものの定年退職を認め、退職金を規定通り支給した。参院外交防衛委員会のやりとりで浜田防衛相は、田母神氏の歴史認識について村山談話と「明らかに異なる」と言明する一方、憲法99条で公務員に課せられた憲法尊重擁護義務違反については「そこまでいっていない」と答弁。憲法に抵触するとの認識は示さなかった。
麻生首相は「幕僚長というしかるべき立場にいる人の発言としては不適切。それがすべて」と語るだけ。田母神氏が村山談話について「正体が分かった。言論弾圧の道具だ」と言い切ったことについても、「(自衛隊を)辞めた後で(田母神氏は)私人だから、うかつなことは言えない」と事実上、コメントを避けた。
指揮監督権を持つ首相としてあまりに人ごとすぎないか。こういう時にこそ、責任者らしい姿勢を見せてほしい。
参院外交防衛委員会では、文民統制の危うさとともに、田母神氏が統合幕僚学校長時代に設置したカリキュラムも取り上げられ、同校における教育内容の一端が明らかになった。
統幕学校は陸海空自衛隊の佐官クラスを対象にした上級幹部への登竜門である。そこに田母神氏は「歴史観・国家観」講座を新設した。教育内容には「誇るべき日本の歴史」や「大東亜戦争史観」などが並ぶ。講義は外部講師が中心。顔ぶれを見ると、第二、第三の田母神氏をつくる仕組みが作られていたのではないかとの疑惑がわく。講座は現在も続いている。
そして「改憲」をはっきり口にした。核武装については、「日本が自立するには、核武装するのが一番早道」などと語っている。しかし、政府は沈黙したままだ。
この間の経過を振り返り、林香里東京大准教授はこう指摘する。
「一番気になるのは政府の対応。言論は自由だからと職の更迭だけで終わらせるのは納得できない。先の戦争に対する歴史認識の問題と自衛隊の位置づけについて政府はどう考えているのか。その考えを分かりやすく示して、この際、国民的なコンセンサスづくりを目指す必要がある」
また、日本の核武装論が表面化するたびにそれを批判し問題提起してきた土山秀夫・元長崎大学長は「日本ではこれまで政府の手で二度にわたり核武装に関する研究が行われたが、いずれも核武装は国益にかなうものではなく、行うべきではないとの明確な結論を出している」としたうえで次のように語る。
「それにもかかわらず、なぜ核武装論がことあるたびに浮上するのか。その理由の一つに、日本政府のこの問題に対する姿勢のあいまいさがある。核拡散防止条約(NPT)に加盟しているとか、非核三原則が国是だといくら言っても、核武装を肯定する政治家や研究者たちの言動はそうしたことを公然と否定しているのと同じだ。その発言を事実上黙認しておいて、日本がいくら国連総会に核兵器廃絶法案を提出したところで、それは国際社会に対するポーズにすぎない。真剣に核兵器廃絶を求めて運動している多数の市民に対する欺瞞(ぎまん)と受けとめられても仕方がない」
二人の識者は、田母神論文問題が起きた今こそ、政府は今後に禍根を残さないよう、明確なメッセージを内外に発信してけじめをつけるべきだと求めている。
林香里・東京大准教授に聞く(ジャーナリズム・マスメディア研究)
国民的合意形成へ努力を
田母神論文問題が起きた今のような時こそ、政府は、先の戦争についての歴史認識と自衛隊の位置づけについて自らの考えを一般の人にも分かりやすく示し、国民的合意(コンセンサス)形成のための努力をすべきだ。
コンセンサスづくりには、大変な努力とエネルギーがいる。政府の立場、考え方をきちんと体系立てて示したうえで、議論を積み重ねる。知的で理性的な作業を国を挙げて行おうとする姿勢を見せてほしい。こんな時、それをしないで放置する政府は無責任だ。メディアが果たすべき役割も大いにあると思う。
七年間住んだドイツでは、政府は「軍隊は民主主義の基本的価値の上にある。ナショナリズムのためにあるのではない」ということを事あるごとに確認していた。アフガニスタンに派兵するときもそうだった。
ドイツにも国内で歴史認識の対立がある。でも、職業としての政治家は、理性によって統治される民主国家づくりへ向けて、イニシアチブをとって話しかけなければ、まともな政治家とは見なされない。メディアもそうした役割を自覚して政治家を監視している。
「言論の自由」は何を言ってもいいということではない。理性的な議論を通しコンセンサスをつくる、その過程の中にあるものだ。
(2008年12月22日朝刊掲載)
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これに対し政府は「(論文は)政府見解と明らかに異なる意見」としていち早く幕僚長の職を解いたが、なぜか論文の内容に関して自らの歴史認識や見解をあらためて説明しようとしない。最高司令官である麻生太郎首相も「不適切」というだけである。
しかし、政権の座にいる人たちはこういう時こそ政府の考えを国民に示し、過去の戦争についての認識や日本核武装論についての見解を明らかにすべきだ。そうしないと、いつまでたっても国民的なコンセンサスが得られず、諸外国からも誤解を受けるばかりではないか。
改憲・核武装論に沈黙
田母神論文の題は「日本は侵略国家であったのか」。全国でホテルなどを展開するアパグループの第1回「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、最優秀賞に選ばれた。
論文で田母神氏は、日本が中国大陸や朝鮮半島に軍を駐留させたのは条約に基づくものであり、「相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない」と主張。「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた」「日本はルーズベルトの仕掛けた罠(わな)にはまり真珠湾攻撃を決行」「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」と述べている。自衛隊の現状についても「領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない」とし、この状態から解放されない限り「我が国を自らの力で守る体制が完成しない」との見方を示している。
更迭の理由は「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは航空幕僚長として不適切」(浜田靖一防衛相)というものだった。ここで言う「政府見解」とは、1995年8月に当時の村山富市首相が「戦後50年の終戦記念日にあたって」と題して発表したいわゆる「村山談話」を指す。
村山談話は過去の戦争について「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました」と「侵略」を明確に認め、「痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明」した。その後も政府の基本的見解として踏襲され、麻生首相も「私の内閣でも引き継ぐ」と表明している。
しかし、政府の対応は「及び腰」だと言わざるを得ない。幕僚長の職は解いたものの定年退職を認め、退職金を規定通り支給した。参院外交防衛委員会のやりとりで浜田防衛相は、田母神氏の歴史認識について村山談話と「明らかに異なる」と言明する一方、憲法99条で公務員に課せられた憲法尊重擁護義務違反については「そこまでいっていない」と答弁。憲法に抵触するとの認識は示さなかった。
麻生首相は「幕僚長というしかるべき立場にいる人の発言としては不適切。それがすべて」と語るだけ。田母神氏が村山談話について「正体が分かった。言論弾圧の道具だ」と言い切ったことについても、「(自衛隊を)辞めた後で(田母神氏は)私人だから、うかつなことは言えない」と事実上、コメントを避けた。
指揮監督権を持つ首相としてあまりに人ごとすぎないか。こういう時にこそ、責任者らしい姿勢を見せてほしい。
参院外交防衛委員会では、文民統制の危うさとともに、田母神氏が統合幕僚学校長時代に設置したカリキュラムも取り上げられ、同校における教育内容の一端が明らかになった。
統幕学校は陸海空自衛隊の佐官クラスを対象にした上級幹部への登竜門である。そこに田母神氏は「歴史観・国家観」講座を新設した。教育内容には「誇るべき日本の歴史」や「大東亜戦争史観」などが並ぶ。講義は外部講師が中心。顔ぶれを見ると、第二、第三の田母神氏をつくる仕組みが作られていたのではないかとの疑惑がわく。講座は現在も続いている。
そして「改憲」をはっきり口にした。核武装については、「日本が自立するには、核武装するのが一番早道」などと語っている。しかし、政府は沈黙したままだ。
この間の経過を振り返り、林香里東京大准教授はこう指摘する。
「一番気になるのは政府の対応。言論は自由だからと職の更迭だけで終わらせるのは納得できない。先の戦争に対する歴史認識の問題と自衛隊の位置づけについて政府はどう考えているのか。その考えを分かりやすく示して、この際、国民的なコンセンサスづくりを目指す必要がある」
また、日本の核武装論が表面化するたびにそれを批判し問題提起してきた土山秀夫・元長崎大学長は「日本ではこれまで政府の手で二度にわたり核武装に関する研究が行われたが、いずれも核武装は国益にかなうものではなく、行うべきではないとの明確な結論を出している」としたうえで次のように語る。
「それにもかかわらず、なぜ核武装論がことあるたびに浮上するのか。その理由の一つに、日本政府のこの問題に対する姿勢のあいまいさがある。核拡散防止条約(NPT)に加盟しているとか、非核三原則が国是だといくら言っても、核武装を肯定する政治家や研究者たちの言動はそうしたことを公然と否定しているのと同じだ。その発言を事実上黙認しておいて、日本がいくら国連総会に核兵器廃絶法案を提出したところで、それは国際社会に対するポーズにすぎない。真剣に核兵器廃絶を求めて運動している多数の市民に対する欺瞞(ぎまん)と受けとめられても仕方がない」
二人の識者は、田母神論文問題が起きた今こそ、政府は今後に禍根を残さないよう、明確なメッセージを内外に発信してけじめをつけるべきだと求めている。
林香里・東京大准教授に聞く(ジャーナリズム・マスメディア研究)
国民的合意形成へ努力を
田母神論文問題が起きた今のような時こそ、政府は、先の戦争についての歴史認識と自衛隊の位置づけについて自らの考えを一般の人にも分かりやすく示し、国民的合意(コンセンサス)形成のための努力をすべきだ。
コンセンサスづくりには、大変な努力とエネルギーがいる。政府の立場、考え方をきちんと体系立てて示したうえで、議論を積み重ねる。知的で理性的な作業を国を挙げて行おうとする姿勢を見せてほしい。こんな時、それをしないで放置する政府は無責任だ。メディアが果たすべき役割も大いにあると思う。
七年間住んだドイツでは、政府は「軍隊は民主主義の基本的価値の上にある。ナショナリズムのためにあるのではない」ということを事あるごとに確認していた。アフガニスタンに派兵するときもそうだった。
ドイツにも国内で歴史認識の対立がある。でも、職業としての政治家は、理性によって統治される民主国家づくりへ向けて、イニシアチブをとって話しかけなければ、まともな政治家とは見なされない。メディアもそうした役割を自覚して政治家を監視している。
「言論の自由」は何を言ってもいいということではない。理性的な議論を通しコンセンサスをつくる、その過程の中にあるものだ。
(2008年12月22日朝刊掲載)
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