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社説・コラム

社説 佐藤元首相の発言録 「核の傘」考える糸口に

 核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず-という非核三原則を唱えたのは佐藤栄作元首相だった。その姿勢が評価され、ノーベル平和賞も受けた。

 ところが中国が核実験に成功した3カ月後の1965年1月、元首相は米国防長官にこう求めていたことが、外務省の公開文書で明らかになった。

 「中国と戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」

 非核を掲げながら、米国の「核抑止力」に依存する。現在まで続く核兵器をめぐる理念と現実のギャップは、このころから始まったのだろうか。

 先の発言は、東西冷戦の最中、元首相が初訪米した際のやりとりの中で出てきた。

 米国は日本に「防衛努力」を求めたが、日本の世論は核兵器に極めて敏感だった。元首相は「日本が核兵器を持たないことは確固不動の政策」と主張せざるを得ず、一方で、有事の保証をこうした形で求めたと思われる。

 「洋上のもの(核)なら直ちに発動できるのではないか」との際どい発言もある。陸上は駄目だが核搭載艦船の寄港は認める、と言っているようなものだ。

 これは非核三原則の「持ち込ませず」に触れないかどうか。「洋上」論議は、後々まで尾を引くことになった。

 米国は、寄港や日本領海内での艦船の展開は「持ち込み」に当たらないと解釈している。日本政府は「米軍は核兵器を持ち込んでいないと信じる」と国会答弁を続けてきた。誰が聞いても説明には無理があろう。三原則は、明快な言い方にもかかわらず、あいまいさを含むことになった。

 「持ち込ませず」に象徴的に表れたジレンマ。その経緯をあらためてたどると、平岡敬前広島市長の嘆きがよみがえってくる。

 核兵器を捨てよ、と口では説きながら、自らの安全保障は米国の核兵器に頼っている。外国からはそう言われ、いくら市民が平和運動に頑張っていると反論しても「二枚舌だ」と納得してもらえない―と。

 前市長は97年、平和宣言で初めて核の傘に頼らない安全保障を政府に求めたが、状況は変わらない。かつては核兵器を積んだ艦船の入港を拒む「神戸方式」など自治体が力を持ったこともあるが、広がりは持てないままだ。

 しかし冷戦終結で世界は変わった。脅威は「核テロ」に移り、キッシンジャー元米国務長官は核廃絶論に転じた。オバマ次期米大統領も核軍縮に意欲を示している。

 日本が説得力のある平和外交を繰り広げるには、いつまでも米の核兵器に依存していていいのか。国内外の非政府組織(NGO)を中心に検討されている「北東アジア非核地帯」構想などはこれからの選択肢の一つだろう。

 生々しい外交の舞台裏も数十年たてば、冷静に受け止められる。歴史の事実を振り返り、針路を見定めたい。

(2008年12月24日朝刊掲載)

「中国への核報復を」  65年に当時の佐藤首相が米に要請 (08年12月23日)

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