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社説・コラム

「核報復」文書公開の思惑  広島平和研の浅井所長に聞く

■ヒロシマ平和メディアセンター事務局長 難波健治

 「戦争になれば、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している」。1965年1月、当時の佐藤栄作首相がマクナマラ米国防長官との会談で中国との戦争を話題にし、「核の傘」の発動を要請していたことが先月22日、外務省が公開した外交文書で明らかになった。

 佐藤首相は「洋上のもの(核兵器搭載の米艦船)なら直ちに発動できるのではないか」と提案。核の持ち込み容認と受け取れる発言もしていた。

 3年後の67年12月、佐藤首相は「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を表明。以後、被爆国日本の国是となった。

 公開された文書によると、非核三原則を唱えた首相自身が国民の目の届かぬ外交の秘密交渉の場で有事の際の核兵器使用を求め、核戦争を容認していた。「ノーモア・ヒロシマ」「ノーモア・ナガサキ」の訴えは被爆国の首相によって否定され、非核三原則は当初から空洞化していたことになる。

 外務省はなぜこの時期、佐藤首相の「二枚舌」を実証する文書を公開したのだろうか。我部政明琉球大教授によると、この佐藤・マクナマラ会談文書は、米政府側の公開文書では確認されていない。

 外務省に25年間在籍した経験から、今回の文書公開の背景には同省の重要な意図が込められているとみる浅井基文・広島市立大広島平和研究所長に、文書公開の狙いや背景などを聞いた。

非核三原則に「引導」 ヒロシマを軽視

 -このたびの文書公開について、独特の見方をされていますね。
 政策目的に利用したいという外務省の狙いをはっきり感じる。

 -なぜ、そう言えるのですか。
 外務省時代、外交文書の公開作業にかかわった。機微な部分、国民に知られてはまずい部分は黒塗りにして見せないようにするのが普通だ。今回、外務省が佐藤発言をそのまま紹介したのは、公開することに政策的意図を込めているからだ。

 -何を国民に伝えようとしたのでしょう。
 在日米軍再編など日米軍事同盟が強化されている。その最大の眼目は中国との戦争に備えることにある。だから、佐藤元首相が中国の通常兵器攻撃にも核で即時応戦するよう米国に要請した事実は優れて今日的なメッセージとしての意味がある。つまり、将来、米中戦争が起きた場合、中国が核兵器を使用しない段階でも、米国が中国に対して核兵器の先制使用に踏み切る可能性があるという意味だ。外務省が佐藤発言を公にした狙いは、そのことを国民に知らせることにある。

 -単なる歴史文書の公開という次元の話ではないんだと…。
 外務省には台湾海峡をめぐる「厳しい国際関係」に国民の認識を誘おうという意識が働いている。非核三原則の中の「持ち込ませない」についても、米国の公文書では核兵器搭載艦船がそのまま日本に寄港していたことが明らかになっている。外務省が今回「洋上のものなら直ちに発動できるのではないか」という佐藤発言を公にしたのは、非核三原則は守られないことについて、国民に引導を渡すというひそかな狙いが込められている。

 -戦後日本は、第三の被爆地を出すなと一貫して訴えてきたはずです。ところが政府は、それと反対の要請を米国にしていたことになります。
 国民の間でなお根強い健全な核アレルギーは、米国の「核の傘」を絶対視している政府にとって邪魔になる。一方、「ノーモア・ヒロシマ」を無視した発言を公表しても、広島から強烈な反対や批判の声は起こらないとたかをくくったのではないか。

 -広島はおとなしすぎますか。
 これが沖縄にかかわることだったら、沖縄は強く反発しただろう。広島と沖縄の違いを考えざるを得ない。広島は、日本という国の安全保障政策を正面から問いただすことを避けたまま、世界に向かって核兵器廃絶を訴えるスタイルに徹してきた。これでは説得力に乏しい。戦争につながるような国の政策を変える努力を尽くす広島であってこそ、国際社会もヒロシマの声に耳を傾ける。

 佐藤発言の公開に対し、長崎では被爆者5団体がすぐさま非核三原則の法制化を求める声明を共同で出した。法制化すれば、政府もこれまでのような「二枚舌」は使えなくなる。こんな時、大きな声をあげない広島には、根の深い問題があるように感じられてならない。

 -問題の根っこはどこにあると思いますか。
 先の大戦の最後で敗戦の受け入れが遅れたため、広島・長崎へ原爆が投下された。そのことの責任追及を広島はほとんどしていない。広島がアジアを侵略する出撃拠点だったこと、日本の軍国主義の過去を引きずる戦後政治への主体的反省も不十分だ。これらの問題にきちんと触れずに核兵器廃絶を広島が主張するとき、どうしても被害の訴えだけにとどまって、普遍的な説得力を失う。そのことを広島は深く認識し、克服すべきだと思う。

 あさい・もとふみ 1941年愛知県生まれ。63年外務省入省。国際協定課長、中国課長、駐英公使などを歴任。88年、東大教養学部教授。90年、日本大法学部教授。92年、明治学院大国際学部教授。2005年4月から現職。

 ≪外交文書公開≫外務省は1976年から、作成後おおむね30年経過した外交文書を公開している。ただ、国の安全、相手国との信頼関係、交渉上の利益、個人の利益などに支障があると判断された場合は公開されない。公開するかどうかは当初から外務省の裁量に任されており、制度の在り方をめぐって疑問や不満がつきまとっている。今回は21回目。

佐藤元首相の発言要旨

 日本は核兵器の所有あるいは使用についてあくまで反対だ。技術的には核爆弾をつくれないことはないが、フランスのドゴール大統領のような考え方(独自の核兵器開発)は採らない。陸上への核兵器持ち込みについては発言に気を付けてほしい。もちろん、戦争になれば話は別で、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している。その際、陸上に核兵器用施設を造ることは簡単ではないかもしれないが、洋上のものならば直ちに発動できるのではないかと思う。

長崎県被爆者5団体共同声明の要旨

 佐藤・マクナマラ会談の内容について次の点を問題と感じる。
(1)「非核三原則」を唱えノーベル平和賞を受賞した佐藤首相が、中国と武力衝突があった場合、直ちに核攻撃を仕掛けるよう米国に要請している
(2)「洋上のものなら直ちに発動できる」と表明し、核持ち込みの「抜け穴」をつくった
(3)1960年安保改定時に核持ち込みの「核密約」をしていた
(4)米国の核実験再開を事実上了承していた

 このような40年前の事実を知らされ、わが国の政治・外交政策に強い不信を覚える。政府に対し、国民への背信行為をあらためることと「非核三原則」の法制化を要求する。

(2009年1月19日朝刊掲載)

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