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社説・コラム

被爆者健康手帳 訪韓審査に同行 交付へなおハードル

■記者 森田裕美

 海外からの被爆者健康手帳申請を可能にした改正被爆者援護法が昨年12月15日に施行されたのを受け、今月15日から20日まで、広島市の職員2人が訪韓した。日本の公務員が海外に渡航し、申請者を面談審査したのは初めてだ。ようやく援護の入り口に立つことができた在韓被爆者の実情に触れた同行取材で、なお残る国内外の援護格差や自治体が担う役割など、新たな課題が見えてきた。

 申請者との面談の初日の16日。市原爆被害対策部援護課の中村明己認定担当課長と荒谷茂課長補佐は、釜山市から車で約2時間かけて慶尚南道陜川郡の陜川高麗病院に到着した。在韓被爆者の置かれた厳しい状況をすぐに知ることになった。

 ベッドの上で長男に付き添われる鄭南寿(チョンナムス)さん(88)。爆心地から2.4キロの広島市内の自宅で被爆した。来日できないことを理由に手帳申請を却下した長崎県に対し、処分取り消しを求めた訴訟は長崎地裁で勝訴したものの、県が控訴し、今なお係争中だ。

 6年前から、寝たきりの状態でほとんど会話はできない。中村課長らは資料をもとに被爆状況などを確認したが、10分足らずの間も、せき込むなど、つらそうな様子だった。

 広島市が面談したのは、67-99歳の男女6人。うち4人は、病状が重く会話は困難だった。

 今回の全員が市などが発行し、従来の制度でも渡日すれば被爆者健康手帳に切り替えられる「被爆確認証」は持つ。しかし、健康状態などから代理人が申請手続きをした。厚生労働省の規定で、一から被爆状況を確認しなければならない人の申請と同様、現地での本人確認の面談が必要となった。

 手帳は、被爆者にとって各種手当や医療給付という援護を受ける、いわば「パスポート」。改正被爆者援護法に伴い、海外に暮らす被爆者は居住地の日本大使館や総領事館で手帳申請が可能になった。援護法を海外に適用するという大きな意義を持つ。

 その一方で、なお格差は残る。医療給付は日本国内にはない上限額が規定されたままで、自分で出した医療費を後で精算しなければならない。さらに、医療特別手当が受けられる原爆症認定の申請には、引き続き来日要件がある。

 韓国の被爆者や家族の間には「今更、手帳をもらっても遅すぎる」との思いもある。

 釜山市の釜山中央病院では、寝たきりの趙琪善(チョギソン)さん(83)と面談した。趙さんが中村課長らに「脚が痛くないようにしてください」と訴える場面があった。長男の姜甲一(カンカギル)さん(64)は「もう少し手帳交付が早ければ、もっと症状が軽い段階で脚を治せたかもしれない」と指摘した。

 この訪韓では、海外に出向く自治体の負担も浮き彫りになった。申請用紙は、外務省経由で申請者が被爆した場所である広島、長崎4県市に送られる。本来、被爆者援護に責任を負う国に代わり、4県市は海外からの申請に伴う審査を担う。派遣費用は国負担とはいえ、職員のやりくりや被爆者側に負担をかけない面談の工夫などの課題は多い。

 今回は比較的容易に渡航できる隣国だったが、ソウル、釜山をはじめ韓国全土にわたり、限られた時間で縦横無尽に動かねばならなかった。外務省によると22日現在で各国の日本大使館・総領事館が受理した申請用紙は22人分(韓国20人、米国1人、ブラジル1人)。今後は、どんなに遠くても足を運ぶ必要がある。

 帰国後、中村課長は「今回面談した人は既に確認証を持ち、被爆状況が確認されているのに長い間手帳を渡すことができなかった。本当に心が痛む。これ以上、行政側の理屈で待たせてはならない」と強調。確認証がある場合は、代理申請でも面談を省略するなど柔軟な対応も視野に入れ、広島県や長崎県市とともに、厚労省と協議を続けていく。

 「来日ができない」ことを理由に援護から置き去りにされてきた在外被爆者。改正被爆者援護法によって、自治体も海外で直接、その実情に触れることになった。残された課題の早急な解決を、これまで以上に国に促す役割を背負う。

証人捜し 歳月流れ困難 出生届ない事例も

 改正被爆者援護法で在外被爆者への手帳交付をめぐる問題が解決したわけではない。現地の被爆者団体などが最も頭を痛めているのは、これから被爆の事実を証明しなければならない人たちだ。原爆投下から63年以上が過ぎ、原則的に必要な証人捜しなど、既に困難な人が多い。

 「長年放置しておいて、昔と同じ条件を申請者に求めるのはあまりに酷だ」。広島市職員の面談に同行した韓国原爆被害者協会釜山支部の許萬貞(ホマンジョン)支部長(75)は訴える。

 支部の会員は約630人。うち約30人が手帳未取得だ。許支部長は被爆事実を確認できる資料の収集や申請書の日本語訳などに力を尽くす。ただ、高齢のうえに認知症の人、2歳の被爆で記憶がなく、両親も亡くなっている人などがいる。

 こんなケースもある。被爆の混乱で親が広島市役所に出生届を出さないまま韓国に帰国した胎内被爆者の女性は、戸籍上は韓国生まれになっているため被爆を証明できない。許支部長の協力で釜山の裁判所に出生地の事実認定を求めている。

 広島、長崎4県市は被爆確認証を持たずに新たに手帳申請するケースは、現地の被爆者団体からの聞き取りなどから、北米や南米、韓国から少なくとも155人と見込んでいる。

 「日本政府が裁判に負けるたび、小出しの支援策を繰り返すうちに多くの人が亡くなり、生きていても被爆事実の証明がますます難しくなった。奪われてきた権利は簡単に取り戻せない」と許支部長。同協会として被爆を確認した会員には、人道的視点から審査の条件の緩和を求めている。

(2009年1月25日朝刊掲載)


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