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社説・コラム

「人類生存ための処方箋」の著者、ラウン博士に聞く

■センター長 田城 明

米国の著名な心臓病学者で、命を救う医師の立場から反核・平和運動をリードしてきたバーナード・ラウン博士(87)が、このほど「Prescription for Survival: A Doctor’s Journey to End Nuclear Madness(人類生存のための処方箋:医師が歩んだ核兵器廃絶への道)」と題した回顧録を出版した。ラウン博士は、1985年にノーベル平和賞を受賞した核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の共同創始者でもある。その博士が、長年にわたって国際的な反核運動にかかわってきた人生を振り返り、3年がかりでまとめた。冷戦時代から核の脅威に対して警鐘を鳴らし、闘い続けてきた博士の半生は読む者の胸を打つ。中国新聞はこの新刊書について、和訳を待たずにラウン博士にメールでインタビューした。

 「人類生存のための処方箋」によって、世界にどのようなメッセージを一番伝えたかったのですか。
 「普通の人々が自分の運命を切り開く」というのが、この本の最大のメッセージである。歴史書を読むと、あたかも国王や独裁者や大統領や軍の指導者たちが歴史の主人公であるかのように教えている。その中には賢者もいれば愚者もおり、偉業をなす者もいれば大罪を犯す者もいる。歴史は彼らによってつくられると、私たちは思いがちである。しかし実際は、IPPNWの多くの経験が示しているように、歴史をつくるのは私たち、一般市民である。この教訓を忘れると、民主主義は力を失い衰退する。オバマ現象は、市民の力によって、新しい大きな出来事が現実に起きることを如実に示している。

 冷戦時代と比べて、現在、人類が直面する核脅威をどのように見ていますか。
 現在の核脅威は深刻ではあるが、超大国の米ソが対立していた冷戦時代ほど危機的ではない。冷戦時代は、いつ核戦争が起きてもおかしくない状況だった。核戦争が起きれば、地球上の生命は死に絶えるのではないかとも言われた。当時、世界を席巻していた戦略思想は、相互確証破壊(MAD)の考えに定義された抑止力論の上に成り立っていた。MAD(狂気)とは、よく言ったものである。まさしく狂気の沙汰だった。現在は、世界が突然終焉(しゅうえん)するような危険性はない。しかし、核兵器が秘かに拡散し、核保有国が核拡散防止条約(NPT)でうたわれた義務を怠り、放射性物質の備蓄が世界中で進み、テロが拡大する中で、人々が不安や恐怖を覚えても当然であろう。

 IPPNWの活動を通じてさまざまな困難に直面したと思いますが、どのような教訓をそこから学びましたか。
 多くの教訓を得たが、最大の教訓は、長い闘いに人々を動員するには、運動の大義や成功の可能性を訴えるだけでは不十分だということである。これは道義的な闘いであるということを、常に訴える必要がある。不正に対する怒りは、人々を動かすだけでなく、活動を持続する大きな力となる。この本に書いたことから引用しよう。「私は、人々が怒りを抱くには単なる知識では不十分だと思っていた。核戦争の恐ろしさを生々しく詳細に説明しても、それだけで人々は動かない。はらわたが煮えかえるような義憤に駆られて初めて、人々は行動する。彼らは、どこかの利己的な政治家が、わが子やかけがえのない地球を焼き、放射能で汚そうとしていることを知って憤慨を覚え、ようやく立ち上がるのだ。このような覚醒の仕方は、あまりに感情的であり、プロパガンダに偏り、知性的なやり方ではないと、知識人は思うようだが、ナンセンスだ。人間は、知性や感情や精神や、心に深く根づいた道義心を併せ持つ複雑な存在である。私たちは、人々の全神経をかき立てる必要があった」 

 あなたは「人類は絶滅危惧種だ」と言っていますが、それでも楽観主義を貫いているように思えます。世界から核兵器をなくす可能性や、長期にわたる人類の生存について、どの程度楽観視されているのですか。
 私はかつてないほど、核兵器廃絶の可能性について楽観している。もっとも私が生きている間に、核廃絶という人類にとっての幸福な発展を見届けることはできないだろう。が、単なる希望的観測で言っているのではない。元国務長官のキッシンジャー氏やシュルツ氏ら、冷戦時代に米国の政治中枢にいた人々が、今、核廃絶を積極的に唱えている。核兵器は科学技術が発達した社会の幸福を脅かす。そのことに、彼らは気づいたのだ。自分たちの大義のために死をも辞さない核テロリストたちの行動を抑止することはできない。手短に言えば、核抑止の時代は終わったのだ。行き着く結論は、このような恐ろしい脅威を封じ込めるには、核兵器の廃絶しかない。

 オバマ新政権と核兵器について、どのような期待や懸念を抱いていますか。
 オバマ氏は、米国の大統領としてはレーガン大統領以降、初めて核兵器廃絶の必要性を支持している。しかし、恐るべき真実は、半世紀余り前にアイゼンハワー大統領が指摘したように、米国の軍産複合体はかつてなく強大になっている。国防総省やその多数の取り巻きは、アメリカ人の生活の隅々に入り込んでおり、核軍縮に反対するだろう。オバマ大統領がこの問題で彼らと闘えば、彼は負けるだろう。しかし、私は楽観視している。核兵器廃絶という歴史的な探求を成し遂げるには、草の根市民による大規模な運動と、核廃絶の大義に対する米国政府の公約がなければならない。この二つが合わされば、遅まきながら核廃絶を達成できるだろう。医師たちによる運動の経験は、大量殺戮(さつりく)兵器のない世界をめざす現在の運動にとって先例となろう。

 核兵器廃絶にむけて、広島・長崎、そして日本はどのような役割を果たすべきですか。
 反核運動が効果を上げるためには、世界的な運動になる必要がある。ここに、広島・長崎の欠くことのできない歴史的重要性が宿っている。悲劇的な経験をぼやけた思い出にするのではなく、現在に生き続ける鮮明な記憶として、よみがえらせるべきである。第二次世界大戦後の世代は何が起きたかを知らない。日本人は、この壮大な闘いの先頭に立つべく崇高な義務を負っている。

 平均的な世界の市民は、核の問題について自分たちには何もできないと、しばしば無力感を感じています。一般の市民が核廃絶のためにできることは何でしょうか
 この点について私は、より大きな枠組みですでに述べた。何世紀もの間に、世界がいかに人間的になってきたかを考えてみる必要がある。人食い、魔女の火あぶり、子どもの体罰、精神病患者の拘束、女性に対する人権無視、露骨な人種差別、同性愛嫌悪、死刑など多くのことがらが、文明社会ではおおむね許されないと考えられるようになった。私が楽観的なのは、医師としての経験からもくる。私が生まれてから、平均寿命は3分の1近くも延びた。心臓病は、今ではほぼ予防できるようになった。医学的な奇跡も数多くある。これらはすべて、普通の人々が共通の人道的な目的のために、力を合わせて成し遂げてきたものである。しかし、人類の大多数がより良い暮らしをするために、科学の力はなお十分に探求されたとはいえない。一方、論理的な枠組みや法的基盤は、すでに世界の新しい秩序に組み込まれている。それは、60年前にサンフランシスコで採択された世界人権宣言にも体現されている。

 あなたは著書で、自らの長い人生を豊かに詳細に語っています。この本を書くことは、あなたにとってどのような経験だったのでしょうか。
 「人類生存のための処方箋」を書くのは、私の人生の中で、最も骨の折れる困難な作業だった。私は3年間、毎日休みなく働き続けた。さまざまな経験を思い出し、それを書き記す作業を通じて、今まで理解できなかった多くの出来事の意味が分かるようになった。最も重要なのは、この本を書くことで一層楽観的になれたことだ。

バーナード・ラウン博士
1921年リトアニア生まれ。13歳のとき両親と米国に移民する。ジョン・ホプキンズ大学医学部卒業。初の除細動器を開発。ハーバード大学公衆衛生心臓病学名誉教授。国際的に著名な平和活動家であり、1962年に設立された「社会的責任を果たす医師の会」(Physicians for Social Responsibility)の創始者の一人。1980年、旧ソ連の心臓病学者エフゲニー・チャゾフ氏と共同で「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)を設立。1985年にIPPNWはノーベル平和賞を受賞した。

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