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社説・コラム

コラム 視点 「世界へ伝えよう 平和と和解のメッセージ」

■センター長 田城 明 

「伝え、学ぶ」―。  非政府組織(NGO)ピースボート主催の「ヒバクシャ地球一周 証言の航海」に参加した被爆者たちの体験をひとことで言えば、こういうことになろうか。個々人で伝えた内容や学んだ中身はそれぞれに違うだろう。しかし自らの視野を広げ、今後の証言活動の糧となる貴重な体験となったことだけは確かである。

 これまでも多くの被爆者が、個人や団体で海外に出かけて原爆被害の実態を伝え、核兵器廃絶を訴えてきた。訪問先の市民との交流であったり、核軍縮を議題に集中審議中の国連に向けてのアピールであったりとさまざまだ。

 特筆すべき一つに、厳しい米ソ冷戦下の1964年に実施された「広島・長崎世界平和巡礼」がある。夫の仕事に伴って広島に住むようになったアメリカ人のバーバラ・レイノルズさん(1915―90年)が提唱し、自ら私財を投じて実現。被爆者や学者、通訳ら40人が、75日間をかけて米ソ英仏の核保有国をはじめカナダ、ベルギー、東西ドイツの8カ国を平和行脚した。

 米国ミズーリ州では、原爆投下を命令したハリー・トルーマン元大統領とも面会した。「みんな憎々しい思いを抱いていた」と、その場に居合わせたひとりの女性被爆者は振り返った。米各地で開かれた集会などでは原爆投下を正当化する人もいれば、ホームステイで温かく迎えてくれた家族もいた。顔や腕に残ったケロイドゆえに日本で差別を受けてきた彼女は、被爆以来「初めて人間らしい扱いを受けた」ことに感激。「このアメリカ人家族の上に再び原爆が落ちてはならない」と思うまでになったという。

 広島・長崎世界平和巡礼から40年後の2004年から約1年半にわたり、中国新聞も広島国際文化財団と協力して「広島世界平和ミッション」を行った。2001年の米中枢同時テロ事件を契機に、ブッシュ前米政権が始めた「テロとの戦争」。その後の世界は、テロ行為と報復戦争という暴力と憎悪の連鎖の中で、地球上の多くの人々が無力感を感じていたときでもあった。

 「こんなときだからこそヒロシマから声を上げねば…」。原爆投下による未曾有の惨禍から私たち市民が歴史の教訓として学び、はぐくんできた「平和と和解の精神」を、被爆の実相とともに直接、核保有国や紛争地の人々に伝えよう。公募で選ばれた被爆者9人を含む29人が、記者やカメラマンを伴い、6陣に分かれて米ロ英仏中印パの核保有7カ国と、韓国、イラン、スペイン、南アフリカ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ウクライナの計13カ国を順次訪問した。
 かつて日本が侵略したり植民地にしていた中国や韓国では、旧日本軍による被害者の体験にも耳を傾けた。一方的に被爆体験を語るだけでは対話は成り立たない。だが、顔と顔を見合わせ誠意をもって話し合えば、やがて同じ戦争被害者として理解の糸口は見いだせる。

 核兵器を互いに保有し隣国同士で敵対しあうインドとパキスタンの人々への和解の働きかけ、イラン人からさえ無視されがちだったクルド系イラン人の毒ガス被害者との交流、200人近い死者を出したスペイン列車爆破テロ事件で、体と心に深い傷を受けた被害者や遺族との意見交換、かつて所有していた核弾頭は解体したものの、なお残る黒人への人種差別や貧困、エイズに苦しむ南アフリカの人々との話し合い…。

 平和ミッションに参加した被爆者や若者たちは、行く先々で「ヒロシマ」を伝えることの重要さと難しさ、相手から学ぶことの大切さを知った。帰国後、被爆者はその体験を基に、自分たちのメッセージを相手により良く伝えるために、紛争や貧困、人権問題など世界の出来事にも一層目を向け、積極的に証言活動に取り組んでいる。当時学生だった若者ら他の参加者の多くも、NGO活動などを通じて「ヒロシマの世界化」に努めている。

 今回、ピースボートに乗船した被爆者たちも、世界の人々との交流を通じて、あらためて核兵器や戦争のない世界構築に果たす被爆者の役割の大きさを肌で感じたことだろう。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキの訴えも大事だけれど、これからはノーモア報復も加えなければ…」。そんな感想を口にする被爆者もいた。困難な道ではあっても、互いに憎しみを乗り越え、和解と許し、対話のプロセスがなければ、平和は実現できないとのメッセージでもあろう。

 「航海の終わりは始まりにすぎない」と、多くの被爆者がさらなる証言活動に意欲を示しているのは心強い。これまで被爆体験の意味など考えてこなかった日本の若者たちに、被爆者と4カ月余の航海を共にすることで顕著な変化が表れたともいう。被爆の記憶を伝える「継承者」としての自覚の芽生えである。その点の収穫も大きい。

 ピースボートでは、今回の成果を踏まえ、7月にも再び被爆者や若者の参加を募って「証言の航海」に船出する計画である。核兵器のない世界をつくり出すには、圧倒的な国際世論の盛り上がりが欠かせない。とりわけ米ロをはじめ核保有国の人々の声が重要な鍵を握る。

 今回の寄港地は20カ国23カ所。うち核保有国はインド南部コーチンのみだった。できれば、次回は核保有国への寄港回数を増やし、保有国市民との対話の機会を多くしてはどうだろう。参加した被爆者や若者が「伝え、学ぶ」だけでなく、核保有国の市民にとっても「学び、伝える」ことが多くあるに違いない。

(2009年2月16日朝刊掲載)

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