シュルツ元米国務長官に本紙記者がインタビュー
09年3月2日
■記者 金崎由美
元米国務長官のジョージ・シュルツ氏(88)が、米スタンフォード大フーバー研究所で中国新聞のインタビューに応じ、「核兵器廃絶を目指す行動が世界をより安全にする」と強調した。
シュルツ氏はレーガン政権の国務長官で、現在、スタンフォード大フーバー研究所特別研究員。2007年1月と2008年1月の2回、核兵器廃絶を求めるシュルツ氏ら4人の寄稿が米紙に掲載され、「冷戦の戦士」による廃絶アピールとして世界的な反響を呼んだ。
日本は役割果たせ 冷戦期より危険な現在 使用ためらわぬ者いる
-「核兵器のない世界」を訴えた狙いは何ですか。
2007年1月の寄稿は、前年10月に第一級の専門家が集結した会議の成果だ。
ちょうど1986年のレイキャビク(アイスランド)首脳会談から20年の節目だった。当時、レーガン米大統領と旧ソ連のゴルバチョフ書記長は戦略防衛構想(SDI)で対立し、首脳会談は決裂したが、核兵器のない世界を目指すべきだとの考えでは合意した。その場にいた私も同じ考えだった。フーバー研究所の同僚と「2人の到達点の意義をとらえ直すべきではないか」と話し、会議開催を決めた。
会議での議論の中心は「核兵器のない世界を目指すべきだという考えは、今日さらに現実味を帯びている」ということだった。そして「思っているだけではだめ。行動しなければならない」と合意を得た。
-寄稿への大きな反響をどう受け止めていますか。
20年前は核兵器の抑止力が平和を保っていると考えられていた。しかし現在は、むしろ冷戦期より脅威が高まっている。世界のいたる所に(核兵器の材料となる)核物質がある。簡単に手に入るならば、テロリストや「ならず者国家」が兵器を造ろうとするだろう。その危機感が反応の変化をもたらしているのではないか。
2007年に2度目の会議を開き、実現へのステップについて意見を出し合った。オスロ(ノルウェー)でも会議をし、海外の反応も知った。われわれの取り組みが確かなものになってきていると実感している。
-寄稿の内容を快く思っていない人もいますか。
もちろん。幻想であり達成できない、と考える人たちだ。そして相変わらず、核抑止力に多大な信頼を置く人たちだ。ただ、核兵器のない世界というビジョンには反対でも、われわれが提示したステップにはおおむね賛成、という人もいる。それが世界を安全にするからだ。
-オバマ政権は核兵器の問題にどう取り組むと思いますか。
新大統領はさまざまな困難に直面している。経済問題などへの対応に時間を割かれるだろう。しかし彼は核問題がどれだけ大切かも理解している。われわれに賛同を表明しており、心強い。
-被爆国日本の現状をどうみますか。
日本は核兵器を持つ能力はあっても、それがもたらす状況を知っており、あえて持たない。これは非常に重要だ。日本は地球規模の取り組みをリードする資格と発言力がある。
日本が米国の「核の傘」を必要としてきたのは、冷戦期に旧ソ連が核兵器を使用する可能性があったから。もし、すべての国が核兵器をなくしたら核の傘は要らなくなる。
-広島を訪れたことはありますか。
訪問の機会を得たことはないが、第二次世界大戦後に見た写真が目に焼き付いている。たった一つの爆弾がもたらす破壊力に、深い衝撃を受けた。
-その写真は核兵器のない世界を求める原点になっていますか。
イエス。二度と起きてはいけない。
キッシンジャー氏はニクソン政権で国務長官だったときのことを「私を常に何よりも苦悩させたのは、『核兵器を使うべきか』と大統領から問われたら何と言うかだった」と話していた。
核兵器はあまりにも恐ろしく、良心ある人は決して使えない。だが、かつて使われてしまい、今なお使用をためらわない者がいることも確かだ。だからこそ、彼らの手に届かないようにしなければならない。
(2009年2月11日朝刊掲載)
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元米国務長官のジョージ・シュルツ氏(88)が、米スタンフォード大フーバー研究所で中国新聞のインタビューに応じ、「核兵器廃絶を目指す行動が世界をより安全にする」と強調した。
シュルツ氏はレーガン政権の国務長官で、現在、スタンフォード大フーバー研究所特別研究員。2007年1月と2008年1月の2回、核兵器廃絶を求めるシュルツ氏ら4人の寄稿が米紙に掲載され、「冷戦の戦士」による廃絶アピールとして世界的な反響を呼んだ。
日本は役割果たせ 冷戦期より危険な現在 使用ためらわぬ者いる
-「核兵器のない世界」を訴えた狙いは何ですか。
2007年1月の寄稿は、前年10月に第一級の専門家が集結した会議の成果だ。
ちょうど1986年のレイキャビク(アイスランド)首脳会談から20年の節目だった。当時、レーガン米大統領と旧ソ連のゴルバチョフ書記長は戦略防衛構想(SDI)で対立し、首脳会談は決裂したが、核兵器のない世界を目指すべきだとの考えでは合意した。その場にいた私も同じ考えだった。フーバー研究所の同僚と「2人の到達点の意義をとらえ直すべきではないか」と話し、会議開催を決めた。
会議での議論の中心は「核兵器のない世界を目指すべきだという考えは、今日さらに現実味を帯びている」ということだった。そして「思っているだけではだめ。行動しなければならない」と合意を得た。
-寄稿への大きな反響をどう受け止めていますか。
20年前は核兵器の抑止力が平和を保っていると考えられていた。しかし現在は、むしろ冷戦期より脅威が高まっている。世界のいたる所に(核兵器の材料となる)核物質がある。簡単に手に入るならば、テロリストや「ならず者国家」が兵器を造ろうとするだろう。その危機感が反応の変化をもたらしているのではないか。
2007年に2度目の会議を開き、実現へのステップについて意見を出し合った。オスロ(ノルウェー)でも会議をし、海外の反応も知った。われわれの取り組みが確かなものになってきていると実感している。
-寄稿の内容を快く思っていない人もいますか。
もちろん。幻想であり達成できない、と考える人たちだ。そして相変わらず、核抑止力に多大な信頼を置く人たちだ。ただ、核兵器のない世界というビジョンには反対でも、われわれが提示したステップにはおおむね賛成、という人もいる。それが世界を安全にするからだ。
-オバマ政権は核兵器の問題にどう取り組むと思いますか。
新大統領はさまざまな困難に直面している。経済問題などへの対応に時間を割かれるだろう。しかし彼は核問題がどれだけ大切かも理解している。われわれに賛同を表明しており、心強い。
-被爆国日本の現状をどうみますか。
日本は核兵器を持つ能力はあっても、それがもたらす状況を知っており、あえて持たない。これは非常に重要だ。日本は地球規模の取り組みをリードする資格と発言力がある。
日本が米国の「核の傘」を必要としてきたのは、冷戦期に旧ソ連が核兵器を使用する可能性があったから。もし、すべての国が核兵器をなくしたら核の傘は要らなくなる。
-広島を訪れたことはありますか。
訪問の機会を得たことはないが、第二次世界大戦後に見た写真が目に焼き付いている。たった一つの爆弾がもたらす破壊力に、深い衝撃を受けた。
-その写真は核兵器のない世界を求める原点になっていますか。
イエス。二度と起きてはいけない。
キッシンジャー氏はニクソン政権で国務長官だったときのことを「私を常に何よりも苦悩させたのは、『核兵器を使うべきか』と大統領から問われたら何と言うかだった」と話していた。
核兵器はあまりにも恐ろしく、良心ある人は決して使えない。だが、かつて使われてしまい、今なお使用をためらわない者がいることも確かだ。だからこそ、彼らの手に届かないようにしなければならない。
(2009年2月11日朝刊掲載)
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