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社説・コラム

コラム 視点 「広島復興とお好み焼き」 

■センター長 田城 明

 「お好み焼き平和学」とはうまく言ったものである。「学問?」と抵抗を覚えられる方には「平和学習」と言い換えればいいだろうか。

 広島のお好み焼きについてさほどの知識があるわけではない。が、海外からの訪問者を店に案内するとき、私も常に廃虚から復興への広島の歩みと重ね合わせて説明する。彼らは目前で焼ける広島ふう「ジャパニーズ・ピザ」への関心と同じほどにその話に興味を示すのである。

 欧米の人々もアジアの人々も、その反応は変わらない。核問題などについて本社で話し合った後、近くの店に案内する。5、6人が鉄板の周りに座ると、狭い店内はたちまち満席。そこで私は「広島市内には民家やビルの一角を利用したお好み焼き店が何百軒とある。始まったきっかけは…」と説明にかかる。

 原爆や戦争で稼ぎ頭の夫ら男たちを失った女性たちが、戦後の食糧難のなかで生きていく手段として店を始めたケースが多いこと、資本がかからない、狭い空間でも商売ができる、職住一致で子どもがいても働ける―などの理由を挙げる。

 溶いた小麦粉を鉄板で薄く広げて焼き、その上にネギや天かすなどを載せてソースをぬっただけの戦前の「一銭洋食」と呼ばれた時代から、キャベツやモヤシ、そばやうどん、卵や豚の三枚肉までを使った戦後のお好み焼きのスタイルができるまでの変遷や、店によって微妙に違う作り方や味について話し終えるころには出来上がり。被爆地広島にとって欠かせぬ食文化であると知ると、味わいにもより深みが増そうというもの。

 広島を再訪するアメリカ人ら海外の知人のなかには、手ごろな値段でボリュームたっぷりのお好み焼きをもう一度食べたいとか、一緒に連れてきた子どもにも食べさせたいという人が結構多いのだ。それだけ、多くの人々の口に合うということだろう。

 広島風お好み焼きの歴史は、広島復興期の庶民のバイタリティーを示しているともいえる。今では全国にも名が知れわたり、お好み焼き店を始める若い起業家もいる。

 実は、先日も京都から私立校の先生2人が来社した。4月下旬にグアムからやってくる姉妹校の中学・高校生20数人をヒロシマ学習に連れてくるための事前準備だ。「昼食はぜひお好み焼きを食べさせたい」と先生は口をそろえる。この日は、希望に合わせ、20人以上が一度に食事できるお好み焼き店へ案内し、一緒に昼食を取った。「本当においしいですね」。2人とも広島の「庶民の味」を堪能してくれた。

(2009年3月2日朝刊掲載)

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