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社説・コラム

イランの毒ガス患者支援 行武正刀さんを悼む

■記者 桑島美帆

 3月初め、病床に見舞った。「これまでイランで熱烈歓迎を受けてきた。だが歓迎はもういい。大久野島での経験を早く生かしたい」。3度のイラン訪問を振り返り、悔しそうに語った言葉が耳に残る。「イランで臨床研究をせにゃあいかん。僕はもう無理だから、次の世代に託そうと思う」

 大久野島(竹原市忠海町)の毒ガス患者らの治療に尽くした行武さん。1年前、呉共済病院忠海分院(元忠海病院)を取材で訪ねると、部屋の入り口にイランの時刻を示す時計が掛かっていた。「テヘランの皆さんはお昼を食べているころかな」。夕方帰宅する時にそんなことを思うのだと話してもらった。

 行武さんとイランとの出合いは2004年。広島市のNPO法人「モーストの会」から、勉強会での講師を依頼されたのがきっかけだった。翌年、現地を初めて訪れ、イラン・イラク戦争でイラク軍のマスタードガス攻撃を受けた村々を回った。へき地の「診療所」に医師はおらず、道具もなかったという。

 「患者の健康診断を続け、データを蓄積することが先決」と行武さんはイランで訴え続けた。現地のテレビ番組に出演して大久野島の事例を紹介。毎年、イランから広島を訪れる医師への指導も欠かさず、昨夏には病を押し、酸素ボンベを着けて講演した。

 戦争や兵器の非人道性に対する怒りと、犠牲者へのいたわりが原動力だったのだろう。行武さんが向き合った大久野島の患者たちのカルテは4200人分。そしてイランの毒ガス被害者は5万人に上るとされる。

 「行武さんはイランの毒ガス被害者の存在を国際的に広めた。本当に功績は大きい」とテヘランにある化学兵器被害者支援協会の医師シャリアール・ハテリさん(38)。古くからの仲間を失ったような喪失感を覚えると悼んでいた。

    ◇

 行武正刀さんは3月26日に死去、74歳。

(2009年4月7日朝刊掲載)

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