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社説・コラム

平和教育は今 広島の中学校にみる 被爆者高齢化・細る授業時間

■記者 桑島美帆

 新学期がスタートした広島市内の中学校で「平和教育」の現状をみた。あの日が遠ざかるにつれて生徒が被爆体験を直接聞く学習は年々難しくなり、学力重視の流れの中で平和を学ぶ時間は限られがちだ。教える側も戦後生まれ。原爆・平和教育のノウハウ継承は切実な課題となっている。

体験刻む冊子 継承

 今月、翠町中(広島市南区)に着任した中研司校長(54)は前任者から、水色の冊子を引き継いだ。「空白の学籍簿」。20年以上前から代々の校長が読み込んできた冊子を、中さんも少しずつ読み進めている。

 「広島原爆戦災誌」によると、翠町中は第三国民学校と呼ばれた原爆投下当時、雑魚場町(現中区国泰寺町)で建物疎開作業に当たった生徒143人が犠牲になった。「空白の学籍簿」には肉親や当時の教師の体験がつづってある。

 「里子さんはがんばった。雑魚場町から、あつく焼けた地面を骨の出た足で一生懸命歩いた。そして被爆したその日、お父さんお母さんに見守られ死んでいった…」

 1977年から生徒会がテープレコーダーを抱えて遺族宅を訪ね歩き、体験を聞き取っていった。どの証言も中学生に語りかける口調で「子どもが同じ体験をしないように」との願いがこもる。

 翠町中では今も平和学習の副読本として活用する。生徒たちは毎年7月にホームルームで朗読し、1977年に地元テレビ局が撮影した番組を通じて先輩たちが体験聞き取りに奮闘した様子も学ぶ。

 現役の教師たちも「われわれには、この本の中身をしっかり受け継いでいく責務がある。平和学習の時間をなくすわけにはいかない」との思いを共有しているという。

 だが、広島市内の多くの中学校で「平和学習の時間確保が難しくなった」との声が聞かれる。

 例えば国泰寺中(中区)では最近、平和学習の授業時間を確保できるのは1年生だけという。浜村竜彦校長(56)は「必修科目の確保が最優先」と苦渋の選択を説明。半面、「家庭から被爆体験が消えるなか学校が果たす役割は大きい」との自覚に基づき、昨夏から全校生徒に、出身小学校の原爆慰霊行事への参加を義務づけた。

 一方で「平和教育の衰退ばかりに注目するのはむしろ逆効果」と説くのは大州中(南区)の松井久治教諭(55)。1982年から市内の小中学校を対象に「平和教育のとりくみ実態調査」をまとめてきた市教職員組合(全教)平和教育部会のメンバーとして「踏ん張って続ける学校や教師はまだ多い」とみる。

 江波中(中区)は本年度、全学年で年間14-15時間の平和学習を確保した。2年生の授業では、被爆者が描いた「原爆の絵」を用いたフィールドワークを初めて導入する。

 生徒たちは班ごとに分かれて絵が描かれた場所へ出向き、一帯の復興に携わった人から話を聞く。「昔のことだけにとどまらず、広島が成し遂げた復興の力を知り、ヒロシマを再認識してほしい」と授業を考案した渡辺公彦教諭(56)。4年前から他校の教諭4人との情報交換も始め、内容を練ったという。

 被爆者の高齢化で肉声の聞き取りが困難になった状況を反映し、平和学習の軸足を「発信」などへ切り替える動きも目立つ。

 美鈴が丘中(佐伯区)では新2年生全員が3月、折り鶴に平和への願いをドイツ語で書き、ニュルンベルクの中学生に送った。「おじいちゃんは学校を休んで助かったけれど、同級生がたくさん死んだんだって」。祖父から一度だけ被爆体験を聞いたことがある長谷川真聖君(13)は「平和が一番」と書いた。

 「広島の子どもたちにもっと『平和』を発信してもらいたい」と楢崎正生教頭(47)。今月、ドイツから届いた礼状には「ありがとう」などと英語で書いてあった。生徒たちは英語の授業で礼状を翻訳し、今度は英語で返事を書くという。

全校に指導資料 市教委

 広島市教委の2005年のアンケートでは、広島の原爆投下の年月日を正確に答えることができた中学生は67.6%。10年前に比べ7.1ポイント減少した。逆に「将来、平和のために役立つことをしてみたいとは思わない」中学生は4.3ポイント増え、16.1%となった。

 平和教育は総合学習の時間に実践されるケースが多い。しかし学習指導要領には職場体験、環境、福祉など総合学習の具体例は挙げられているが、「平和」はない。

 一方、被爆を体験した教諭はすでに定年退職して現場から離れ、平和教育のノウハウの継承も困難。各学区に住む地域の被爆者から体験を聞こうにも高齢化が進む。

 さらに市教委は本年度から「ひろしま型カリキュラム」と呼ばれる言語・数理運用科の試験的導入を全中学校に拡大する。現場では「さらに平和学習がやりにくくなる」との教諭の嘆きが漏れる。

 市教委学校教育部指導第二課は「広島の平和学習はそれぞれの教諭の努力で築かれてきた面がある。だが将来を考えると、市教委が下支えをする必要がある」とする。

 市教委は2006年、「平和教育の指導資料」を全小中学校の校長に配った。昨秋からはウェブサイトに被爆体験継承と平和発信を柱に据えた「平和教育の目標」を掲載。被爆者が子どもたちに証言を語る様子の映像化を進め、海外の平和交流先の紹介を始めている。

舟橋喜恵・広島大名誉教授に聞く
ノウハウ 学校間で共有を

 -広島の平和教育の現状をどうみますか。
 1970年代以降、小中学校で平和教育が盛んになった。故山田節男市長は1971年の平和宣言で、平和教育の推進は「惨禍を繰り返さないための絶対の道」と訴え、どの学校も平和学習の時間を特別に設けて頑張った。翠町中の「空白の学籍簿」のような取り組みは広島の財産。だが今は必修科目の授業時間確保に精いっぱいで、平和教育がつぶされている。

 -1998年の文部省(現文部科学省)の「是正指導」が平和教育を衰退させたとの指摘もあります。
 影響は大きかったように思う。広島市内でも教育現場を萎縮(いしゅく)させた。だが、すべてを是正指導のせいにすべきではない。「悲惨な被爆体験を学び、核兵器廃絶や平和の大切さを訴える」という広島型の平和教育が転換期にきている面もあるのではないか。マンネリ化は生徒だけでなく、教師のやる気もそぐ。内容の再検討が必要だ。

 -どんな授業が求められますか。
 戦争体験のない教師が、平成生まれの子どもたちに被爆体験をどう継承するか。教師は模索を重ねるべきだ。原爆投下直後に撮られた一枚の写真でも「なぜ女学生がたくさん写っていると思う?」と尋ねれば、中学生の視点で学徒動員の話を伝えることができる。

 若い教師や小中学生の親から、新しい形の平和学習のアイデアを募ってはどうか。貧困や環境問題、イラク戦争やイスラエルのガザ攻撃など現代の戦争も視野に入れるべきだ。

 -平和教育の継続、発展に必要なことは。
 まず、ベテランから若い教師への継承制度を築くこと。どんな教え方や教材が子どもを引きつけるのか。現状では、平和教育に熱心な校長や先輩教師のいる学校に赴任しないと経験を積みにくい。学校同士、教師同士のつながりを広げ、情報を共有する仕組みが求められる。

 市教委の「平和教育の指導資料」も「見たことがない」という現場の教師は多い。市教委は校長だけでなく、前線の教師たちに平和教育の大切さが伝わる努力をすべきだ。

 平和な世の中を築く人間を育てることは教育の基本。外から被爆地に注がれる目線を意識し、ヒロシマの意義を再認識したい。工夫さえすれば、国語や社会、外国語の授業でも「平和」は扱える。

 ふなはし・よしえ 名古屋市生まれ。専門は社会思想史。原爆被害者相談員の会代表。著書に「ヒュームと人間の科学」など。

(2009年4月20日朝刊掲載)

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