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社説・コラム

コラム 視点 「被爆地から平和教育の活性化を 広めよう世界へ」 

■センター長 田城 明

  「広島や長崎の原爆被害の実態は海外でどこまで知られているのか」。私はこれまで世界の放射能汚染地帯やカシミールの紛争地などを取材しながら、機会を見ては「広島について知っていますか」と取材対象者や家族らに尋ねてきた。

 広島の名前は、カシミールのような辺境の地にあっても意外なほどよく知られている。「原爆が投下された都市」として、記憶されているのだ。しかし、そこで実際に何が起こったかとなると、実態を知らないケースがほとんど。私は取材後、時間の余裕があるときなどバッグから原爆写真集を取り出して説明する。すると、大人も子どもも被災写真を食い入るように見つめ、驚く。

 核大国の米国やロシアなどでも、原爆による具体的な被害となると、認知度は決して高くない。

 翻って日本の現状はどうか。幾分誇張して言えば、外国と似たような状況が生まれているのではないか。広島や長崎の被爆県でさえ、原爆投下日を正確に答えることができない子どもたちが増えている。県外だとその傾向は一層強まる。放射線の人体への影響など被害の全体像となるとなおさらだ。ましてや広島・長崎の被爆体験が、今を生きる私たちにどのような意味をもっているかなど考えも及ばない。

 だが、子どもたちが知らないのは、言うまでもなく大人の責任である。子どもたちに伝える立場にある若い親や教師たちの多くも、恐らく十分に教えられる機会がなく育ってきたのではないだろうか。

 原爆や戦争に関する記述が教科書から大幅に削除され、被爆体験や戦争体験のある教師たちが教壇を去り、文部科学省や地方の教育行政が平和教育に消極的、否定的になれば当然のなりゆきと言わざるを得ない。国連などで政府が「唯一の被爆国」とことあるごとに口にするこの国の平和・軍縮教育の実情は心細い限りである。

 第二次世界大戦の爪跡(つめあと)が深かった1954年。終戦から9年後の旧文部省検定済みの中学校社会科のある教科書には、「国際関係と平和」の章で、20ページ以上にわたって原爆や戦争、平和への努力などについて書かれている。

 「戦争は最大の罪悪になった」という小単元の出だしは、原子爆弾の出現として広島・長崎への原爆投下に言及。「10年たった現在でも、生き残った人びとの多くが、放射線や火傷(やけど)の影響のために、倒れていく」とあり、放射線後障害に苦しむ子どもの手記も引用されている。

 さらに「原子爆弾の約千倍のエネルギーをもっているといわれる」水素爆弾が、東京の中心部で爆発したときの影響について記述。地図上に爆心地から同心円を描き、爆風や熱線の影響が関東いちえんに広がり、もっと広い地域にわたって「恐ろしい放射能をもった灰がまきちらされるといわれている」とつづる。

 そして「平和への努力」の項目では、「おとなもこどもも、男も女も、アジア人もヨーロッパ人も、自分には関係のないことだからといって、外交官や政治家たちにまかせておくだけでは、これまでのように戦争をくりかえすことになって、人類のさいごをとむらう大戦をふせぐことはできない」と、中学生にも平和を築く自覚を持つように促している。

 全体を読むだけで、当時の日本の大人たちが、次世代に何を継承したかったかがひしひしと伝わってくる。そこには戦争を深く反省し、平和を尊び、再び戦争の悲劇を繰り返してはならないとの決意がにじむ。それは文字通り、平和憲法の精神を体現した教科書であり、教育であったといえよう。

 原爆や戦争についての記憶は、自然に風化したのではない。政策決定に携わる政治家や教育行政にかかわる公務員の責任は大きい。子どもたちと向き合う教師や、ジャーナリズムにかかわる私たちの在り方も問われなければならない。社会全体で見れば、継承しようとする大人たちの意志と努力が、足りなかったということである。

 もっとも、流れに抗して平和教育を実践している学校や一線の教師も少なくない。教育内容の裁量が公立校よりも自由な私立校では、長年にわたり熱心な取り組みをしているところも多い。

 「世界平和の確立」を社是に掲げる中国新聞も、これまで報道を通じてその努力を積み重ねてきた。今もしているつもりである。だが、国全体から見れば、風化に歯止めをかけ、逆の潮流をつくり出すまでに至っていない。

 仮に多くの日本人が、64年後の今に続く広島・長崎の原爆の惨禍を深く理解し、原水爆の製造過程で生みだされた米ロをはじめ世界のヒバクシャの現実や、放射能汚染の実態を知っていたならば、たとえ隣国が核兵器開発に走ったとしても、「日本も持つべきだ」という発想は生まれないだろう。自民党の政治家たちの間からしばしばこうした発言が飛び出すのは、彼ら自身が被爆の実相を十分に理解していないからだ。冷戦後も核時代の脅威が続く世界にあって、被爆国の果たすべき役割が自覚できていないことの証しでもある。

 平和教育は決して特別なことではない。身近にはいじめや差別をなくし、自他に敬意を持ち、互いに命や人権を尊重する心を養うことである。その関係を、この地球上に生きる人々全体に敷衍(ふえん)することである。紛争を暴力ではなく、平和裏に、世界の人々とともに協力して解決する術を学ぶことである。

 その第一歩は、何よりも大人の意識改革ではないか。文部科学省をはじめ教育行政にかかわる国・地方の公務員、校長ら現場の教師たちの役割は大きい。親たちや地域社会とも連携することで、今の時代にふさわしい多様な取り組みが可能だろう。

 米ソ冷戦下の1970年代、広島の被爆教師たちは「体験を風化させてはならない」と声を上げ、平和教育は全国へと広がった。今日、核戦争の脅威が再び高まり、「ヒロシマ」に注がれる海外の視線も熱い。核時代の象徴の地から今一度、人類生存のための平和教育を活性化させようではないか。被爆地から全国へ、世界へと大きなうねりをつくりだしたいものである。

(2009年4月20日朝刊掲載)

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