ヒロシマの支援活動 被曝医療の継承に不安
09年6月27日
■記者 林淳一郎
被爆地は被爆者医療の蓄積を基に、核実験や放射線被曝(ひばく)事故の被災者に対する医療・研究支援に当たってきた。ところが最近、そのヒロシマならではの国際貢献を担う人材の育成をめぐり、将来を懸念する声が出始めている。
医学生たちの間で、放射線医学の人気が低迷しているのが一因だ。全国的な医師不足が即戦力重視の傾向を招き、国立大法人化により基礎分野の研究が軽視されがちな風潮も背景にある。
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被災地に足しげく通ってきた先輩の医師や研究者たちの胸には、もどかしさが交錯する。「被爆地の使命をどう継承すればいいのか」。広島大は国際貢献を志す医療人の養成を急ぐが、いまだに特効薬を見いだせないでいる。
「被曝者を検診できる医師や技師が不足している。今後も協力をお願いしたい」。5月下旬、チェルノブイリ原発事故の被災地ベラルーシから広島市を訪れたエレーナ・スレズニク医師(39)は、中区であった報告会で被爆地の市民らに訴えた。事故から23年を経た今も、超音波によるがん診断、放射線被曝の実態把握などの面で、なおヒロシマへの期待は大きい。
スレズニク医師は、広島大や県、市などでつくる放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)の招きで来日。約2週間、南区の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)や中区の広島赤十字・原爆病院で研修を積んだ。
しかし被爆地の側がいつまで支援を継続できるか、不安がる関係者は少なくない。
「私たちがリタイアしたら終わってしまうような活動ではいけない」と指摘するのは、広島甲状腺クリニック(南区)の武市宣雄医師(65)。国際支援の中核を担う人材育成が急務と説く。
クリニックでの診療の合間を縫って、ベラルーシなどに100回近く訪問。おおむね2~3週間滞在し、がんの疑いがある患者の検診や地元医師への指導を重ねてきた。「広島と現地の双方に、『核』となる人をつくることが活動の継続につながる。患者を救うことになる」と実感している。
次世代育成の一翼を担う広島大が手をこまねいていたわけではない。2003年度から5年間、文部科学省の助成で放射線災害医療の人材養成を進めた。しかし、若手の関心は最先端の遺伝子研究などに向きがちだ。原医研の神谷研二所長(58)は「若手は研究熱心だが、現地に行って成果を出すには至っていない」と口惜しがる。
HICAREは1991年の設立以来、延べ182人の医療関係者を計17カ国(日本を含む)に派遣してきた。ただ、顔ぶれが固定化する傾向があるうえ、国際会議への出席も少なくない。
広島大原医研の星正治教授(61)は「厳しい現状の中で後継者を育てるには、大学レベルで態勢を整えるほかない」と強調する。96年からベラルーシで被曝線量を調べるなど、武市医師らと現地の医療を支えてきた。定年退職まで2年。「私たちの活動を土台に若い人に新境地を切り開いてほしい」と願う。
一方、遺伝子研究の進展により、放射線の人体影響が従来に増して詳細に解明されつつある。「ヒロシマの医師として使命感を持った人材を育てる好機。若い人の目をいま一度こちらに向かせなければならない」と原医研の神谷所長。いつ新たなヒバクシャが生まれるとも限らない今、不測の事態に対応し、世界からの期待を裏切らない態勢づくりが求められている。
≪HICAREによる医療関係者派遣実績≫
2009年3月31日現在
地域 国名 延べ人数
アジア インド 4
フィリピン 2
韓国 27
モンゴル 2
北米 米国 10
中南米 ブラジル 17
メキシコ 1
欧州 オーストリア 1
ベラルーシ 26
フランス 3
イタリア 1
カザフスタン 28
ロシア 23
スイス 8
ウクライナ 18
英国 2
茨城県東海村 9
合計 182
広島と同様に、世界の核被害者への医療支援を続けてきた被爆地長崎では、後継者育成は進んでいるのか。チェルノブイリ原発事故などの被災地で活躍する長崎大病院国際ヒバクシャ医療センター長の山下俊一教授(56)に現状を聞いた。
―長崎大が昨年から医学部の入学試験に「国際枠」を設けた狙いは何ですか。
面接やリポート提出などによるAO(アドミッション・オフィス)入試で、昨年に続き、今年も5人が入学した。全員が国際貢献の道を歩むとは考えていないが、数人でもヒバクシャ医療に目覚めてくれれば、後継者育成の上で素晴らしい宝になると考えている。
昨年入学した5人は医学ゼミの形式で今年3月、旧ソ連の核実験場があったカザフスタンに送った。地元研究所などの見学が中心だが、まずは現場に触れることが大事だ。
―世界のヒバクシャへの医療支援をどう位置付けていますか。
もちろん原爆被爆者への医療活動が中心だが、海外への医師派遣も長崎の役割。核の被害者は世界にいるのだから。大学が戦略的に、国際支援に携わる人材育成の制度を整える必要がある。2007年度からは文部科学省の助成事業を軸に、放射線医療の人材育成を大学の重点目標に据えている。
―国際ヒバクシャ医療センターの役割は。
「国際貢献」を明言するため、03年に看板を掲げた。センター長の私を含め、スタッフは計4人。うち医師は3人で、世界で活躍できる若手医師の研修などをしている。
国が2年間義務付ける臨床研修制度の2~3カ月分もセンターで受け入れている。昨年は1人だけというのが現実だが、大学の中期計画でセンター拡充も位置付けられている。
―国際貢献の精神をはぐくむのも大切な要素ではないですか。
被爆2世の私もチェルノブイリの医療支援にかかわるとは思っていなかった。1990年に教授になり、日本と旧ソ連の専門家会議に呼ばれた。91年から現地に入り、甲状腺がんの子どもを診たのが始まり。自分の子どもと同年齢だった。母親とも触れ合う中、被災地が長崎の隣にあるような感覚になった。訪問は100回を超えたかもしれない。
肝心なのは、私たちの仕事が現地と直結していると感じるかどうかだ。距離が無駄に思えたら、国際貢献はできない。そこを若い人に伝えたい。
―広島との連携をどう考えますか。
広島のHICAREと同じように、長崎にも長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)があり、海外の医師を短期研修で受け入れるなどしている。長崎と広島が協力し、互いの特徴を出しながら、現地の医療をいかに向上させていくか。被爆地だからこそ絶やしてはならない国際貢献活動だと思う。
(2009年6月22日朝刊掲載)
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被爆地は被爆者医療の蓄積を基に、核実験や放射線被曝(ひばく)事故の被災者に対する医療・研究支援に当たってきた。ところが最近、そのヒロシマならではの国際貢献を担う人材の育成をめぐり、将来を懸念する声が出始めている。
医学生たちの間で、放射線医学の人気が低迷しているのが一因だ。全国的な医師不足が即戦力重視の傾向を招き、国立大法人化により基礎分野の研究が軽視されがちな風潮も背景にある。
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被災地に足しげく通ってきた先輩の医師や研究者たちの胸には、もどかしさが交錯する。「被爆地の使命をどう継承すればいいのか」。広島大は国際貢献を志す医療人の養成を急ぐが、いまだに特効薬を見いだせないでいる。
若手敬遠、大学は育成急ぐ
「被曝者を検診できる医師や技師が不足している。今後も協力をお願いしたい」。5月下旬、チェルノブイリ原発事故の被災地ベラルーシから広島市を訪れたエレーナ・スレズニク医師(39)は、中区であった報告会で被爆地の市民らに訴えた。事故から23年を経た今も、超音波によるがん診断、放射線被曝の実態把握などの面で、なおヒロシマへの期待は大きい。
スレズニク医師は、広島大や県、市などでつくる放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)の招きで来日。約2週間、南区の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)や中区の広島赤十字・原爆病院で研修を積んだ。
しかし被爆地の側がいつまで支援を継続できるか、不安がる関係者は少なくない。
「私たちがリタイアしたら終わってしまうような活動ではいけない」と指摘するのは、広島甲状腺クリニック(南区)の武市宣雄医師(65)。国際支援の中核を担う人材育成が急務と説く。
クリニックでの診療の合間を縫って、ベラルーシなどに100回近く訪問。おおむね2~3週間滞在し、がんの疑いがある患者の検診や地元医師への指導を重ねてきた。「広島と現地の双方に、『核』となる人をつくることが活動の継続につながる。患者を救うことになる」と実感している。
次世代育成の一翼を担う広島大が手をこまねいていたわけではない。2003年度から5年間、文部科学省の助成で放射線災害医療の人材養成を進めた。しかし、若手の関心は最先端の遺伝子研究などに向きがちだ。原医研の神谷研二所長(58)は「若手は研究熱心だが、現地に行って成果を出すには至っていない」と口惜しがる。
HICAREは1991年の設立以来、延べ182人の医療関係者を計17カ国(日本を含む)に派遣してきた。ただ、顔ぶれが固定化する傾向があるうえ、国際会議への出席も少なくない。
広島大原医研の星正治教授(61)は「厳しい現状の中で後継者を育てるには、大学レベルで態勢を整えるほかない」と強調する。96年からベラルーシで被曝線量を調べるなど、武市医師らと現地の医療を支えてきた。定年退職まで2年。「私たちの活動を土台に若い人に新境地を切り開いてほしい」と願う。
一方、遺伝子研究の進展により、放射線の人体影響が従来に増して詳細に解明されつつある。「ヒロシマの医師として使命感を持った人材を育てる好機。若い人の目をいま一度こちらに向かせなければならない」と原医研の神谷所長。いつ新たなヒバクシャが生まれるとも限らない今、不測の事態に対応し、世界からの期待を裏切らない態勢づくりが求められている。
≪HICAREによる医療関係者派遣実績≫
2009年3月31日現在
地域 国名 延べ人数
アジア インド 4
フィリピン 2
韓国 27
モンゴル 2
北米 米国 10
中南米 ブラジル 17
メキシコ 1
欧州 オーストリア 1
ベラルーシ 26
フランス 3
イタリア 1
カザフスタン 28
ロシア 23
スイス 8
ウクライナ 18
英国 2
茨城県東海村 9
合計 182
長崎大病院国際ヒバクシャ医療センター長・山下俊一教授に聞く
広島と同様に、世界の核被害者への医療支援を続けてきた被爆地長崎では、後継者育成は進んでいるのか。チェルノブイリ原発事故などの被災地で活躍する長崎大病院国際ヒバクシャ医療センター長の山下俊一教授(56)に現状を聞いた。
―長崎大が昨年から医学部の入学試験に「国際枠」を設けた狙いは何ですか。
面接やリポート提出などによるAO(アドミッション・オフィス)入試で、昨年に続き、今年も5人が入学した。全員が国際貢献の道を歩むとは考えていないが、数人でもヒバクシャ医療に目覚めてくれれば、後継者育成の上で素晴らしい宝になると考えている。
昨年入学した5人は医学ゼミの形式で今年3月、旧ソ連の核実験場があったカザフスタンに送った。地元研究所などの見学が中心だが、まずは現場に触れることが大事だ。
―世界のヒバクシャへの医療支援をどう位置付けていますか。
もちろん原爆被爆者への医療活動が中心だが、海外への医師派遣も長崎の役割。核の被害者は世界にいるのだから。大学が戦略的に、国際支援に携わる人材育成の制度を整える必要がある。2007年度からは文部科学省の助成事業を軸に、放射線医療の人材育成を大学の重点目標に据えている。
―国際ヒバクシャ医療センターの役割は。
「国際貢献」を明言するため、03年に看板を掲げた。センター長の私を含め、スタッフは計4人。うち医師は3人で、世界で活躍できる若手医師の研修などをしている。
国が2年間義務付ける臨床研修制度の2~3カ月分もセンターで受け入れている。昨年は1人だけというのが現実だが、大学の中期計画でセンター拡充も位置付けられている。
―国際貢献の精神をはぐくむのも大切な要素ではないですか。
被爆2世の私もチェルノブイリの医療支援にかかわるとは思っていなかった。1990年に教授になり、日本と旧ソ連の専門家会議に呼ばれた。91年から現地に入り、甲状腺がんの子どもを診たのが始まり。自分の子どもと同年齢だった。母親とも触れ合う中、被災地が長崎の隣にあるような感覚になった。訪問は100回を超えたかもしれない。
肝心なのは、私たちの仕事が現地と直結していると感じるかどうかだ。距離が無駄に思えたら、国際貢献はできない。そこを若い人に伝えたい。
―広島との連携をどう考えますか。
広島のHICAREと同じように、長崎にも長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)があり、海外の医師を短期研修で受け入れるなどしている。長崎と広島が協力し、互いの特徴を出しながら、現地の医療をいかに向上させていくか。被爆地だからこそ絶やしてはならない国際貢献活動だと思う。
(2009年6月22日朝刊掲載)
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