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社説・コラム

コラム 視点 「広島からの国際被曝医療支援、将来に向け体制づくりを」

■センター長 田城 明

 人は一度も訪ねたことのない世界を身近に感じたり、理解したりしようと想像力を働かせる。一方で「百聞は一見に如かず」ということわざがあるように、現地を訪ね自分の目で確かめると、皮膚感覚でさらに現実が迫ってくる。

 日本人、外国人を問わず、被爆地広島や長崎を訪ねて「初めて原爆の恐ろしさを実感できた」と口にする人は多い。同じことは、私たちが核実験場や核兵器工場周辺、原発事故などの被災地を訪れたときにも言えよう。病気で苦しむ被曝(ひばく)者に会って、初めて深刻な状況を理解するのである。

 広島の医師ら医療従事者たちも同じような体験をしてきた。そして1990年代初頭以来、市民団体とも協力しながら、カザフスタンの旧ソ連セミパラチンスク核実験被災者や、チェルノブイリ原発事故によるベラルーシ、ウクライナの被災者の治療と現地医師らの指導に当たってきた。

  広島の被爆者医療の経験を生かした20年近い実績の積み重ねは、現地の医師や研究者、住民から厚い信頼を得てきた。「被爆者治療に当たってきた広島の専門医を派遣してほしい」「被爆地で研修を受けたい」。こうした要望は、旧ソ連圏だけでなく、放射能兵器である劣化ウラン弾が大量に使用されたイラクの医師からも上がっている。

 だが、活動を中心になって担ってきた医師らの多くが60代を迎えた。被爆地ならではの国際医療貢献を今後も継続、拡充するには、若手医師や看護師らの参加が不可欠だ。

 それには何よりまず、経験を積んだ医師らに伴い、若い世代の医療関係者が現地を訪ねて実情を知ることが一歩だろう。長崎大医学部が実施しているように、広島大も国際医療貢献を主目的にした入試枠を設けるのも一つの方法である。

 私たちの足元には、医師不足など深刻な医療問題が横たわっている。だが、これまで積み上げてきたヒロシマの国際被曝医療貢献の火を消してはならない。被爆地として、今後どう取り組むべきか。将来に向けた抜本的な対策を立てるためにも、地元行政や広島大、県医師会、主要医療機関で構成する放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)が中心になって、協議を進める必要があろう。ぜひ関係者の素早い対応を求めたい。

(2009年6月22日朝刊掲載)

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