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社説・コラム

米露戦略核合意に寄せて 不信超え廃絶へ一歩

■特別編集委員 田城明

 世界の核軍縮促進と核拡散防止には、米ロ核超大国の主導が不可欠―。これは核軍縮と不拡散を求める各国政府、非政府組織(NGO)、市民の共通認識である。それだけに6日、モスクワであったオバマ米大統領とメドベージェフ・ロシア大統領の核軍縮交渉に世界の注目が集まった。

 同日深夜に日本に届いた合意内容は、戦略核弾頭数の上限を1675~1500、ミサイルなどの運搬手段を1100~500に減らすというもの。米ミサイル防衛(MD)関連施設の東欧配備などに強い警戒を示すロシアとの軍縮交渉は難航するとの見方もあっただけに、米ロ首脳は世界の人々の期待に一定に応えたといえよう。

 戦略核弾頭の削減数だけを見れば、米ロが既に2002年に締結したモスクワ条約で、配備核弾頭の上限を2200~1700個としており、今回の合意内容が「画期的」とは言い難い。

 しかし、一国至上主義的な外交・軍事政策を取ったブッシュ米政権下で、米ロ関係は冷え込み、不信と対立の中で核軍縮は停滞。その間に核拡散が進んだ10年近い歳月を考えるとき、オバマ大統領とメドベージェフ大統領は、懸念や不信を超えて、米ロの信頼関係の構築に具体的に一歩を踏み出した。合意の意義はそこにある。

 米ソ冷戦時代の1980年代半ば、世界には7万個以上の核弾頭が地球上に存在した。うち95%以上は米ソ両国の保有。この狂気としか言いようのない核開発競争を進めたのが、ときを同じくして死亡の知らせが入ったロバート・マクナマラ元米国防長官らである。

 1961年のケネディ政権誕生と同時に国防長官に就任したマクナマラ氏は、ベトナム戦争への介入を深める一方で、7年余の在任中、互いの破滅を前提にした「相互確証破壊(MAD)」戦略に基づき、核やミサイル開発にまい進した。その戦略は、冷戦終結間際まで両国で受け継がれた。

 1994年にワシントンでインタビューしたマクナマラ氏は、当時は正しいと思って取った政策が、いかに間違っていたかを口にした。

 「相手への不信が、核軍拡を促すエネルギーだった」と語り、本当の安全保障は核兵器体系への依存ではなく、「緊張緩和や信頼、軍縮、国際協力など外交努力によってのみ達成できる」と力説した。政策決定者の一人として、キューバ・ミサイル危機(62年)など核戦争の危機を身近に体験してきただけに、氏の言葉には説得力があった。

 今回の米ロ間の戦略核や運搬手段の削減合意は、マクナマラ氏らが犯した過ちを繰り返すまいとするオバマ大統領の熱心な働きかけに、メドベージェフ大統領が応えたということだろう。

 だが、それはオバマ大統領が目指す「核兵器のない世界」実現への一歩にすぎない。米ロ間のさらなる核兵器や運搬手段の削減には、両国の信頼醸成が欠かせない。包括的核実験禁止条約(CTBT)に米国が批准することなども、ロシアのみならず、世界の軍縮に好影響を与えるだろう。

 今、核軍縮・核廃絶を求める声は世界中で高まっている。来年5月に国連本部で開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議で大きな成果を生みだすためにも、米ロが見せた軍縮の潮流を確固としたものにしなければならない。その課題は単に核超大国だけにあるのではない。被爆国の日本政府や、市民一人一人の取り組みも問われているのだ。

(2009年7月8日朝刊掲載)

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