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社説・コラム

原爆資料館ピースボランティア10年 ヒロシマ発信 熱意が支える

■記者 桑島美帆

 広島市中区の原爆資料館を案内する「ヒロシマピースボランティア」が発足10年を迎えた。被爆者や定年退職者、若者たち210人の登録者が、「ヒロシマをどう伝えるか」という課題にそれぞれ向き合い、勉強会を重ねるなどして奮闘を続ける。10年記念誌の発行も自主的に準備している。

 平和記念公園も含めた入念な案内ぶりはおおむね好評で、資料館側は今後も充実を図る方針だ。ただ、ボランティアの自主性、やる気に支えられている面は強い。被爆体験継承の担い手として、この制度を具体的にどう発展させていくか、今後の課題も浮かび上がっている。

 軍都としての歴史、米軍が原爆を投下した理由など、原爆資料館の来館者が最初に足を踏み入れる東館1階には、説明パネルを使った展示が少なくない。足早に過ぎる人も目立つ空間は、ピースボランティアの存在でがらりと一変することがある。

 「後ろ姿で写っている女性は、赤ちゃんを抱いて半狂乱で動き回っていたそうです。撮影したカメラマンは涙が止まらなかったと聞いています」-。原爆投下直後の写真パネルの前で、ボランティアの宇佐川弘子さん(63)=廿日市市=が話し始めると、家族連れや旅行者がじっと耳を傾けた。

 背後で、同じ月曜日のガイドを担当する木谷光太さん(68)=広島市安佐北区=が別の見学者に語りかけていた。「一般人の犠牲を最小限にしようという配慮は全く感じられない。米国がいかに原爆の威力を示そうとしたか、ということです」。名古屋市から訪れた男性は、焼け野原の写真に再度見入った。

母に代わり語る

 「遺品や資料が語りかける声を聞き、ヒロシマを自分のこととして考えてもらう」と宇佐川さん。ほとんど被爆体験を語らずに逝った母の代わりにとの思いで、8年前からボランティアを続ける。

 木谷さんは「戦前戦後の広島の史実を伝えること」に徹する。被爆体験記や原爆文学をガイドの「教科書」にしてきた。「長田新の『原爆の子』や原民喜の本など、わたしたちが読むべきものは山ほどある」と実感している。

 宇佐川さんと木谷さんたちが活動する月曜グループは、一日の案内を終えると必ず自主勉強会も開く。2000年から活動を続ける原田健一さん(64)=東区=が編集した「マンデーメモ」が教材だ。「なぜ原爆ドームの鉄骨は溶けなかったのか」「爆心地付近で何人が助かったのか」など、来館者からの質問やボランティア同士の情報交換を基にまとめ、電子メールでメンバーに毎週送っている。

 兵庫県出身の原田さんが、転勤で移り住んだ広島のガイドを志したのは「もっと被爆のことを知るため」が動機。5年間の米国駐在で身につけた英語力を活用したい思いもあった。6月末でメモは475号を突破した。

 同じ月曜グループには昨年から、中国人の楊小平さん(27)=東広島市=が加わった。広島大大学院に留学するため06年秋に来日。原田さんと同様に「ヒロシマを知りたい」と応募した。

 楊さんがガイドに立つとき必ず手にするファイルには、新聞の切り抜きや慰霊碑の解説など資料が詰め込んである。「日本の人も被爆の史実をあまり知らない人が多い。広島に住む学生として、広島で起こったことを伝えたい」と力を込める。

「国籍関係なし」

 そんな楊さんが来館者からの問いに言葉を詰まらせると、細川浩史さん(81)=中区=ら先輩たちがさりげなく補う。「彼は一生懸命に広島のことを吸収しようとしている。被爆体験の継承に国籍は関係ない」と細川さん。

 歴史認識の相違から資料館の展示内容に反発を覚える中国人来館者も少なくない。だが楊さんは「中国語で僕が説明するとたいていは素直に受け入れてくれる。中国との懸け橋になりたい。外国人ボランティアがもっと増えるといい」。同時に、各国の来館者と多く接するためにも「資料館はボランティアガイドの存在をもっとアピールすべきだ」と指摘している。

自主性頼みの運用 マニュアルや研修不足

 1999年に58人でスタートしたピースボランティアの本年度登録者数は210人。21歳から82歳までが曜日ごとのグループに分かれて活動している。毎日午前10時半から午後3時半まで、館内や平和記念公園のガイドを担当。毎月2回分の交通費が支給される。

 前原爆資料館長の畑口実さん(63)によると、修学旅行の多様化で、被爆50年の95年の155万4897人をピークに資料館の入館者数は減少。打開策として、「被爆体験の継承」と「来館者の要望や意見を吸い上げる」ことを目的に、ボランティア導入に踏み切ったという。

 当初は、ガイドが案内する範囲を原爆被害の基本的な部分に限定していたが、来館者の求めに応じて拡大。現在は各ボランティアが好きな展示場所で解説に当たったり、館内にとどまらず平和記念公園の碑めぐり案内をしたりしている。

 曜日ごとのグループは朝夕の2回、ミーティングを開き、展示内容についての気付きや来館者からの指摘などを情報交換する。資料館職員も同席するが、「自分たちの意見がなかなか反映されない」と不満を漏らすボランティアもいる。

 ガイドの公式マニュアルはなく、各自が思い思いに作っているのが実情。また、資料館側は新任ボランティアを対象に独自の「事前研修」を実施していたが、予算の縮小により今年から、広島平和文化センターの市民公開講座に合流することで代替している。

 昨年登録した中塚香里さん(33)=東区=は「海外の人から戦争の歴史について聞かれることが多く、独学の範囲で答えている」と不安を打ち明ける。

 また、ボランティアの増加につれ「希望していないのに話しかけられるのは不快」などの声も一部で寄せられている。

 「各ボランティアの自主性に頼り、過去の実績に基づいて運用してきた。最低限の規範や基準を設けるなど、制度の改善も考えていきたい」と前田耕一郎館長(60)は話す。また、外部識者の委員会で検討を進める展示見直しに「ボランティアの声を吸い上げる場の設定も検討する」という。

 ピースボランティアは資料館に無料で入館でき、控室もある。25年前から独自に平和記念公園の案内を続けている小倉桂子さん(71)=中区=は「控室で来館者の質問に答えたり、他のボランティアと交流したりする機会を増やしてはいかが」と提案している。

連携の制度化が必要

九州大大学院 直野章子准教授

 原爆投下の解釈や被爆に対する思いなどボランティアによって多様な解説があることには意義がある。来館者がさまざまなヒロシマに触れることにもつながる。だが、アジア太平洋戦争の歴史など、基本的な事実関係をきちんと把握する研修制度が不可欠だ。

 在外被爆者の問題や遺品が持つ意味など、現在の原爆資料館に欠けている面は少なくない。資料館はいま一度現状を把握し、ボランティアと連携する仕組みをつくるべきではないのか。

 根幹を制度化しないで「自主性に任せる」では、資料館の目標としている「ヒロシマを伝える」責任を果たしていないことになる。

 そもそもピースボランティアが制度化される前から、被爆者や市民が館内や平和記念公園を案内してきた。さまざまなボランティア団体に門戸を開放し、並行して学芸員に近い形でパートタイムで案内する人たちを養成する2本立てでやってもいい。海外の博物館の事例も参考にすべきだろう。

(2009年7月6日朝刊掲載)

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