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社説・コラム

『この人』 父が残した写真を携え広島訪問 レスリー・スッサンさん 

■記者 桑島美帆

 原爆の犠牲になった家族の遺骨を女性が受け取りに来た。カメラを提げた米兵が見つめる―。父のハーバート・スッサン氏(1922~85年)は米戦略爆撃調査団のカメラマンとして46年春、広島市内を撮影した。その1こまのことを父は生前、こう語ったという。「とてもつらい場面だった。でも、あの破壊が人々に何をもたらしたかを知らせるには、愛する家族が収められた小さな木箱を撮ることが重要だった」

 そんな父が生前、家族にも見せなかった廃虚の写真210点を携えて広島を訪れ、父の思い出を語った。

 父は撮影翌年の47年、「自分が撮った映像が次の戦争の資料に活用されている」として軍を退き、ニューヨークでテレビプロデューサーに。中学生のころ、父がクロゼットに隠した広島と長崎の写真の存在を知って持ち出そうとしたら、「恐ろしい写真だ。絶対に触ったらだめだ」と色をなして拒まれた。「父はずっと、原爆の恐怖と米政府の圧力とにおびえていた」と振り返る。

 自らは大学生のころベトナム反戦運動に傾倒し、卒業後は弁護士に。貧困層に理不尽な社会の仕組みを変えたいとの思いだった。3年前から行政所属裁判官に転身した。

 平和主義を貫く自身を「少なからず父の影響を受けた」と思っている。20年ほど前から、父が書き残したメモや撮影した被爆者の証言を題材に本の執筆を進める。コロンビア大に通う長女が巣立ち、出版準備も大詰めを迎えた。

(2009年7月18日朝刊掲載)

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