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社説・コラム

コラム 視点「核軍縮促進と日米和解へ 意義大きいオバマ米大統領の広島訪問」

■センター長 田城 明

 核超大国アメリカの現職大統領バラク・オバマ氏が、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に花束を手向ける。犠牲者の冥福を祈って黙とうをささげた後、慰霊碑前から全世界へ向かって、核兵器なき世界と平和の実現に向けて米国が率先して取り組むことを誓う。その他の核保有国をはじめ、すべての国の政府・市民も、核廃絶のために力を合わせて努力するよう訴える。

 そんなことが近い将来、実現するのだろうか。核兵器を使用した唯一の核保有国として「米国には行動する道義的責任がある」と明言したオバマ氏。核廃絶という目的に近づき、政治的メリットがあると判断すれば、可能性は十分に考えられるだろう。

 この64年間に、米国をはじめ海外から被爆地広島を訪問した人々は、数え切れないほど多い。学生、ジャーナリスト、宗教家、音楽家、ビジネスマン、外交官、政治家…。訪問者は原爆資料館の見学や、被爆者の証言を聞くなどして、原爆がもたらす破壊のすさまじさだけでなく、今に続く見えない心の傷にまで思いを致す。

 被爆者を含め広島市民には、忘れられない米国からの訪問者も少なくない。原爆孤児のための精神養子運動を進めたり、顔などにやけどを負った若い女性たちを手術のために渡米治療に招いたりしたノーマン・カズンズ氏(1915~1990年)、被爆者のための家を建てたフロイド・シュモー氏(1895~2001年)、原爆病院の入院患者を慰問したり、私財を投じて被爆者らとともに世界平和巡礼を実施し、核保有国を巡って核兵器廃絶を訴えたりしたバーバラ・レイノルズ氏(1915~1990)。復興期のアメリカ市民のこうした活動は、被爆者らが抱く原爆投下国への憎しみを和らげ、市民レベルでの和解を促進した。3人は後に、広島市の特別名誉市民にも選ばれた。

 米国の元大統領経験者で、広島を初めて訪問したのは、ジミー・カーター氏である。1984年、家族とともに平和公園に立ったカーター氏は、原爆資料館を見学し、原爆慰霊碑に献花後、慰霊碑前で千人余の市民を前に「平和アピール」を発表した。

 広島の被害について「壊滅的な惨禍を思うと極めて厳粛な気持ちになる。この教訓は決して忘れてはならない」と述べた。さらに「核戦争の危険は増大している」と指摘。その防止のために「世界の指導者の心構えや行動だけに頼るのでは十分でない。私たちが平和を不断に要求していかねばならない」と訴えた。

 その後の記者会見でカーター氏は「大統領を経験した者として、終生、平和と人権擁護のために働き続けることを誓う意味で広島を訪れた」と訪問の動機を語った。彼の活動は今日に至るまで、このときの誓いを裏切ってはいない。

 カーター氏の訪問から10年後の1994年に広島を訪ねたのは、7月6日に亡くなった元米国防長官のロバート・マクナマラ氏である。会議出席のために初めて被爆地を訪問した氏は、「とても心を動かされる、感動的な体験だった。2、3日の滞在中に4回平和記念公園を訪れた。広島の地に立って平和の意味をかみしめ、改めてヒロシマがそれ以後の『戦争』や『防衛』の概念を変えたのだと実感できた」としみじみと語った。ソ連との核軍拡競争を推し進めた張本人も、晩年は核兵器廃絶を唱えた。

 米政界の現役ナンバー3の地位にあるナンシー・ペロシ下院議長は、昨年9月に広島で開かれた主要国(G8)下院議長会議に出席した。ホスト役の河野洋平衆院議長の広島開催への提案に、出席すべきかどうか、民主党の重鎮で元駐日大使のウォルター・モンデール氏らに事前に相談をしたといわれる。

 「ぜひ、出席すべきだ」と強く勧められたペロシ氏は、広島行きを決断。被爆者の体験を聞くなどして原爆がもたらした惨禍に触れた。同時に、広島市民の温かいもてなしに感動した彼女は「今度は孫を連れてきたい」と河野氏に伝えたという。

 核兵器廃絶への努力を誓ったプラハ演説をはじめ、国家や民族、宗教間の対立や不信を克服し、これまでの既成概念を「変革」して平和的共存を呼び掛けるオバマ大統領に、米国民のみならず、世界の多くの人々が期待を寄せるのも当然だろう。被爆者をはじめ、広島・長崎の市民も、被爆地を訪ねてほしいと願っている。

 広島・長崎両市長や被爆者らのこうした声は、既にオバマ氏の耳にも届いているだろう。同じ民主党で、立場上も近しい関係にあるペロシ議長が、広島の印象について語っているかもしれない。現職大統領の被爆地訪問が実現すれば、さらなる核軍縮促進へインパクトを与えるだけではない。原爆犠牲者への哀悼の意を表し、いまだ正式になされていない第2次世界大戦への日米政府間での和解へのけじめをつけることにもつながるだろう。

 しかし、大多数のアメリカ人は学校の歴史教育を通じて、広島・長崎への原爆投下が多くの米兵の命を救い、戦争の早期終結につながったと学んできている。そのこと一つを取っても、大統領の被爆地訪問にはなお強い抵抗がある。核軍縮政策を推し進める大統領への反対も根強い。

 こうした壁を越えるには、オバマ大統領のリーダーシップが欠かせない。同時に招く側の日本政府の姿勢も重要である。

 例えば、日本の歴代首相が行っていない太平洋戦争開戦の地となったパールハーバーを首相が訪れ、日本との戦争で犠牲になった米国民への哀悼の意を表し、和解にふさわしい言葉を述べてはどうだろう。米国の「核の傘」に頼らない非核政策を明確にし、米ロをはじめ世界の反核世論をリードすることも大切である。

 もし、オバマ大統領が原爆慰霊碑の前で、核廃絶へのアピールと同時に、「核の傘で日本を守る」と訴えても、原爆犠牲者は心やすらかではいられまい。世界中でそれを聞いた人々も、被爆地からの核廃絶メッセージに疑念を抱くかもしれない。大統領がこうした言葉を発する必要がないように、日本側にも非核政策への強い決意が求められる。

 オバマ大統領個人は、誠実に核兵器廃絶を目指しているだろう。その点では「ヒロシマの願い」に通じている。問題はその課題を現実の国際政治の中でどう実現するかである。ロシアとの2国間協力をはじめ、他の核保有国との協調も欠かせない。その意味で、オバマ大統領の広島訪問だけでなく、すべての核保有国の首脳に被爆地を訪れてもらいたい。そして日本政府の仲介で近い将来、米ロ間あるいは多国間の軍縮会議が広島で開催されることを願う。

(2009年7月20日朝刊掲載)

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